大西拓一郎『方言はなぜ存在するのか ことばの変化と地理空間』大修館書店
方言は場所によることばの違い、それも同系統言語での違いであることは理解できる。その地域で使われることば全体を指すことも、個々の単語を指すこともあることも理解できる。
なぜ、そのような地域によることばの違いが発生しただろうか。本書は、その疑問に答えようフィールドワークによる研究を行った著者による成果である。
方言が生じるのは、言語が変化するからであるらしい。なぜ変化するのかは、言語自身の質を向上しようとするからだそうである。
なるほど、ことばが、うまく、簡単に伝えることができる、すなわち合理性と経済性が求められるからである。しかし、そんなに簡単に変化はしない。使う人どうしで共有されているものが等しく行われる必要もある。
新しいことばや、表現の方が便利で伝わりやすくても、多少不便でも、もとのままで、こと足りる、元の方がしっくりくるという人もいる。変化を好む人と、好まない人で差異が生じてくる。
言語変化がいっせいに生じないことから、地域差、場所による違いが生じることで方言が生れてきたと言う。
「とうもろこし」は「玉蜀黍」と漢字表記されるが、かなり古くから栽培されていた「黍」(きび)があったが、「蜀黍」(もろこし)が天正年間に中国経由で伝来し、さらにほぼ同時期に「玉蜀黍」(とうもろこし)がもたらされた。黍→蜀黍→玉蜀黍の順に導入されるたびに1字ずつ修飾語を追加していった。
寒冷地方に適した「とうもろこし」は、甲信地方では「もろこし」と呼ばれ、逆に本来の「もろこし」は、アカモロコシ、ウマモロコシ、カギモロコシなどと「とうもろこし」と区別された。
平均気温21℃以上のところはトーモロコシを、稲作に不利な低いところはモロコシを用いる傾向が分布として顕著であるそうである。
ことばを交わすときに、言語の形と意味の間には、そのつながりの合理性が保持されてている(有縁性)。言語は本質的には記号であり、恣意的に付与されたものであるが、実際に使用する場合は、自分たちの知っている範囲内で形と意味をつなげて合理化をしている。
方言は地理空間の不均衡から生れるという著者の主張を理解し、方言についてよく知りたいと思う人にとって有意義である。多少難しいところもるが、丹念に読めば専門家でなくとも理解できると思う。
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