池内了『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?ー新しい博物学への招待』青土社
「本草学」などの江戸時代までの博物学が、明治維新による近代科学の輸入により忘れ去られてしまったが、江戸時代の蘭学の解禁により、科学に関連する分野で一種の文化大革命が起こり、その成果を楽しんでいたことを知って著者は大いに啓発されたという。
現在のグローバリズムの強調は異質性を消去することにつながり、文化をひ弱なものにしている可能性が高いと考え、「新しい博物学」を提案し、理系の知識と文系の人間の営みを描いたさまざまな作品を合体し融合させて、より大きな物語へと発展させることができないだろうかと考えたという。
本書は、『天文学と文学のあいだ』という書名で2001年に出版したものの再版ではあるが、残念ながらあまり売れなかったものである。著者としては、「新しい博物学」という方法の有効性を再認識したというから、満を持しての刊行と思う。なお、単なる再刊ではなく、内容のアップデイト等が行われている。
第1章は、清少納言の『枕草子』の有名な一節「星はすばる」を取り上げる。星は「統ばる」、多く集まっているという意味で、古代の神々の玉飾りを「御統》」と呼んだことが貝原益軒の考証による語源であるという。中国では第十八番目の「昴宿」にあたる。
「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星。すこしをかし。尾だになからましかば、まいて」
彦星はあるが織姫には触れていない。ゆふづつは夕月で宵の明星。よばひ星は「婚ひ(夜這ひ)」であるが流れ星で星でない。
清少納言は星空を本当に眺めていたわけではなく、虎の巻があったようである。源順『和名類聚抄』である。
昴星、和名は須八流 牽牛、和名は比古保之 夕星、和名は由不豆豆 明星、和名は阿加保之 流星、和名は与八比保之
著者の天文学の知識に古典文学の知識を組み合わせた知的好奇心をそそる読み物となっている。新版となった本書が、著者の意向どおりに人口に膾炙することを念願したい。
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