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大島幸久『歌舞伎役者市川雷蔵 のらりくらり生きて』中央公論新社

世紀の二枚目と言われた市川雷蔵の短い生涯について、銀幕のスターとしてより、歌舞伎役者としてスポットを当てたのが本書である。

雷蔵は、昭和6年8月29日、京都に亀崎章男として生れたが、父は奈良の兵営に入隊しており、母は泣く泣く両親の説得を受け入れたという。すなわち、生れて半年後、子供のない市川九団次の養子となり、竹内嘉男として実子のように大切に育てられた。

しかし、雷蔵は、養父である歌舞伎役者の市川九団次のもとから、歌舞伎界の名門である市川壽海の養子となり、太田吉哉と改名する。雷蔵は、市川筵蔵として初舞台を踏んでいたが、九団次が今後のことを考えてのことであり、これにより八代目市川雷蔵の名を襲ぐことができた。

雷蔵の初舞台は遅かった。16歳となる前のことで、なんとなくの初舞台であった。小学校、中学校時代は、養父の跡を継いで歌舞伎役者となる気はなかった。雷蔵が歌舞伎役者をしたのは僅か8年だと自らきっぱり言っている。

雷蔵は、「のらりくらり」と言われる。若いころ、のらくらしていたので、ナマコとあだ名を付けられていた。著者は、敵を作らない自己演出だと解釈している。

演出家の武智鉄二に呼ばれて勉強し、「つくし会」での役が評価され、昭和25年には西の人気1位となった。

本書は、春の段、夏の段、秋の段、冬の段に分けるとともに、雷蔵の七不思議を解く形で記述している。なぜ映画俳優となったかについても著者の見解を示している。雷蔵や、歌舞伎に興味のある方にはお勧めできると思う。

雷蔵は、昭和44年7月17日、37歳で、直腸がんでこの世を去った。令和3年が、初舞台75年、生誕90年であった。市川雷蔵の名は、団十郎家の預かりとなっている。


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