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K君への手紙2)ひきこもっている苦しみ

 やっほー。また手紙かいちゃってます。
 K君は読んでくれたかな? まあ、あれだね、神のみぞ知る。
 ネットの海は広大過ぎて、すぐすぐは届かないかもしれないけど、まぁいいや。いつかきっと届くと思って書き続けるよ。

 さて、今日はなんの話をしよう。
 なんとなく、苦しみの話をしたほうがいいんじゃないかと思ったんだけどね。
 なんで苦しみ? もっとあかるいたのしい話をしようよって人が大半だと思うんだけど、でも、やっぱり人生は苦しいよ(笑) 苦しい時に、楽しい話をして気を紛らわせることができる人はいいんだけどさ、そういう人はおそらくうまいこと世の中渡っていける人だよね。わたしも、そしてたぶん君も、そういうタイプの人間じゃないんだよ。楽しいことで気を紛らわそうとしても…、ゲームしても、アニメに没頭しても、YouTubeで時間つぶしてもさ、結局、底の方でずっと苦しくて、うしろめたくて、しんどくて…。暇つぶししてるのも、ものすごくつかれるんだよな、って思う。わかんないけどさ(笑)

 退屈なんだよ。きっと。
 じぶんのいのちをかけてまで、がんばることが見つからないから。
 これもさ、自分で言うことかよ、って感じだけど、君もわたしも結構、優秀じゃん。頭もいい方だし、顔もまぁまぁわるくないし(え、そんなことないって? いや、それはさ…じぶんの顔はじぶんではわるく見えるものだからだよ)えっと、なんだっけな。そうそう、思い出した。がんばればそこそこできちゃうんだよ。けっこうね。そうだな…、周りが喜んで、期待してくれるくらいにはそこそこできちゃう。それがさ、まさに命とりなんだよ(笑) 自分の喜びが湧いてくるより先にさ、人が喜んじゃう。それで…、人が喜んでくれて嬉しいから、ついがんばっちゃったりする。でもさ、人の喜びって無責任なものでさ、持続はしないんだよな。他人は、結果には喜ぶけど、プロセスでは喜ばない。人が喜んでくれるくらい努力するのは、けっこう骨が折れることだから…。自分の喜びがないのに、人を喜ばせるためにがんばりすぎて、それで消耗しちゃったりする。気づいた時には、エネルギーが枯れ果てて、まったく動けなくなってたりね。

 そうだな…。たとえば、就労とか? もうさ、「就労」とか言ってる時点で、他人の喜びでしかないわけだよね。働くっていう概念にさ、実体はないわけ。えっとね…、つまり…、松茸ご飯たべたい、とか、ふかふかのふとんでぐっすり朝まで眠りたい、とか、友達とアホなこと言い合って笑いたいとかはさ、自分の喜びだなあって、ためらうことなく信頼できるよ。あと、土いじりしたいとか、自分でモノを作りたいとかね。でもさ、「就労」? いや、それはさ、他人から植え付けられたものだよね、って。つまり、「働かざる者食うべからず」的な、他人からのプレッシャーを避けるためのものであり、うしろめたさを消すためのもので…。そこにある本当の欲望はさ、きっと、「他人から後ろ指さされたくない」とか「安心したい」とかだよ。それが、ストレートに自分の喜びにつながっていく欲望。「就労」そのものは、どちらかっていうと、他人を喜ばせることで自分の安全を確保すること、だと思うな。

 ごめん、ごめん。わたしはひねくれているんだ。K君がいま、就労に向けて、一歩一歩、むちゃくちゃがんばっているとしたら、水を差すようなことを言ってしまって、ごめん…。
 でも、これだけは言っておきたいんだけど…。ひきこもってると、なんか、自尊心もめちゃ下がってきて、こう、なんていうかな…、自分の喜びはどうでもいいから、社会にちゃんと顔向けできるように、迷惑かけないようにしよう! って思ってしまいがちになるような気がして。
 少なくともわたしはそうだったんだよね。自分がたのしいかどうか、うれしいかどうかを感じる能力が極端に下がってしまって、自分の身を犠牲にしてでも他人に貢献することがふつうになってた。そう、それがわたしの生きる使命、みたいなさ。人を喜ばせることに躍起になってさ…。

 もちろん、人を喜ばせることはいいことだし、人に迷惑かけないのも立派なことだと思う。でもさ、ちがうんだよ。ほんとうにわたしのことを大切にしてくれてる人はさ、それじゃ喜ばないんだよ。それがわかったんだ。
 いままで周りにいた人は、「ほんとうにわたしを大切にしてくれる人」じゃなかったんだ! って言いたい訳じゃないんだよ? そうそう、両親とか、友達とかさ…。心配してくれたし、わたしのことを好きでいてくれた人たちはいっぱいいた…(ってことにしとこう、とりあえずね(笑))。
 でも、やっぱりさ、わたしが自分の身を犠牲にしてまでがんばってるってことにまで気づかないんだよね。まあ、自分ですら、自分の消耗に気づかないくらいだから、気づける人はよっぽど観察が優れているんだけどさ。
 気づかないだけなんだよ。たぶん、たぶんだけど、自分の身を削ってがんばってるって知ったら、止めてくれたり、休んだ方がいいよって言ってくれると思う。(もし、それでも、自分を犠牲にしてでもがんばれ!って言うような人からはさ、離れた方がいいと思うな。大切な人を守るやり方を知らない人だから…。)

 そう、ひきこもっててしんどいことのひとつってさ…。周りの人に苦しみが伝わらないこと、っていうのもあるよね。うん、それが大きい。
 なんかね、熱出したり、風邪ひいたりするのも、体力がいるんだって。体力というのかな…、からだの勢いというか。ひきこもりとかになってるときはさ、その、勢いが弱くなっちゃってるんだよね。だから、病気するほどの体の勢いもなくて、それで見た目は「べつに、からだのどこもわるくない、ふつうの人」みたいになっちゃってるんだよねえ。まいった、まいった。
 ほんとはさ、からだが鈍くなっちゃってるだけで、けっこう疲労がたまってて正常運転できないモードなのにさ、周りには伝わらないんだよ…。それに、自分でも、「こんなに元気なのになんで動けないんだろう」なんて思っちゃう。それは、元気じゃないからだよ、やすめやすめ、ってね。

 そうだな、きっと…、自分の喜びを感じるのにも、ある程度の元気が必要なんだよね。たとえば、胃が痛いときには、どんなにおいしいステーキを食べても、おいしいって感じないみたいにさ。だからさ、人の喜びのために動いて、エネルギーを消耗するのはやめて、自分の喜びがまた感じられるようになるまで、いまはやすんだらいいんだと思うよ。たぶんね。


 うーん、なんだか、とりとめのない話になっちゃったなぁ…。まあ、いいか。今日もこのくらいで終わりにしとく。
 K君の日常が、もし灰色でつまんないものだとしたら、この手紙によってちょっとでも色づいてくれたらいいんだけど。まあ、ひょっとしたらね。
 また手紙かくね。もし…、もしも届いたら、K君もお手紙かいてくれると嬉しいな。いや、無理はしなくていいんだけどさ。なにを考えているのか、この手紙をどう感じたのか、教えてくれたら嬉しい。
 それじゃ、またね。夜はふとんに入ってからだあったかくして、深く息をしてね。少しでも眠れますように。

                           20XX年X月X日
                         やまのうえのきのこ

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