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リーフの向こうに

ターコイズからインディゴ、そしてネイビーへと移り変わる深淵の手前の谷に、視界を覆い尽くすほどの青や緑や黄やピンクの色斑が現れる。水面を漂うたよりない体はゆっくりと沖へと流されていくのに、腕も足も動かすことができず、まばたきもせずに流されていた。直下数メートルに極彩色の珊瑚のひろがりがあったからだ。

そのときはじめて、深い深い海の底に美しい龍宮があるのだ、という昔話のリアリティを感じた。色彩の強烈さに恐怖も消えてしまい、どこまでもひろがる色斑の平原を追って、ただただ彼方の深みへと泳ぎ続けていた。

早朝に原稿を少し書いたら、陽が昇りはじめる頃浜を見に行く。白波が立つリーフの向こうを眺めながら潮風にあたり、まだ人のいない浜辺を歩いて珊瑚の死骸や貝殻を拾う。ときおり波間からアオウミガメが顔を出す。朝食を食べたらぼんやりしたり少し原稿を書いたりして、また浜に戻る。ここでは、天気や、海の干満や、潮の流れや、風の向きや強さ、太陽の方角なんかを、ずっと見ている。なにも起こらない小さな環世界に生きている。

今日もリーフの向こうに行く。

なぜ行くのかはわからない。あの一面の色斑をもう一度見たいのかもしれない。珊瑚はそれから数年のあいだ綺麗だったのだが、その後、全滅したり回復したりを繰り返しながら、ここ数年は荒れたラグーンのように、テーブル珊瑚や暗い岩礁の合間からわずかな色彩を見せているだけだ。なら他所に行けばいいのかもしれない。実際、別の場所では珊瑚が綺麗に茂っていた。けれど忠実な犬のように、新しいことはなにも起こらないし訪れたい観光地もない、見慣れたこの場所にいつも帰って来てしまう。

リーフの向こう側は何度経験しても少し怖い。絶対に大丈夫とは言えない。潜るのでライフジャケットは着けていないし、潮流に流されたり、体調不良で溺れたり、鮫が来たり、そういうことがないとも言い切れない。全力で泳いでいるのにその場に静止しているのがやっとの流れにあったこともあるし、10メートルほど下を優雅に鮫が通過していったこともある。砂浜で着替えているあいだ、ありとあらゆる小さな不安が頭をよぎる。

「最後に」煙草を吸っておく。

強烈な太陽が照りつける浜は真っ白で、空も海も穏やかに青くて、モンパノキやハマトベラが風に揺れていて、ぼくは家族や友人と他愛もない話をして笑っていて、この浜には不安の影さえないのに、どこかで、これで終わりかもしれない、とも思っている。

リーフの向こうには一人で行くことが多い。ラグーンを抜けてリーフの縁が近づくと、水が騒ぎはじめ、水温が下がる。魚影が濃くなり大型化していく。深い割れ目がところどころにあって、身を潜めた魚やウツボやウミヘビたちがこちらが通りすぎるのを窺っている。リーフの上を走る波をいくつか越えると前方に広大な青の深淵が見えはじめる。この辺りでいったん止まって心を落ち着けたいと思うのだけど、大きな波に引き込まれて、体がすーっと沖に流れ、ふわりと浮かび上がり、元の位置に戻ったかと思うと、しんと静かな冷たい深みの上に出ている。青い。青い。青い。

息が止まる。周囲を見回す。見渡す限りのマリンブルー。水は澄んでどこまでも見透せるのに青暗くて先の見えない深み。岩礁の斜面には茶色いテーブル珊瑚が見える。鮮やかな色斑はまだほとんどない。青を背景にレモンイエローと白の点描になったアカヒメジの大群が停止している。遠くに大きな魚影が揺らぐ。ここではずっと魚たちに見つめられている。世界を見ているというより世界に見つめられている。濃い青の空間と直下にひろがる巨大な地形のあいだにひろがるこの反転した環世界をどこまでも泳いでいく。

なにも起こらなかった。昼からはビールを飲んだり、食事をしたり、風呂に入ったり、本を読んだり、また浜辺を散歩したりしてゆっくりする。涼んでいると遠く波の音が聞こえる。夜眠ろうと目を閉じても海の映像と音がフラッシュバックする。目覚めると原稿を書く。浜を散歩して、風向きや波や天候を見る。

この小さな環世界で、ぼくはまた、あのリーフの向こうに行く。

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