【概説】「史実を世界に発信する会」 茂木弘道

『大東亜戦争への道』(展転社)
中村 粲
その13 第三章 第六節 日露戦争:日露戦争の世界史的意義
 
 日露戦争の重大意義は、アジア及び世界の抑圧された民族に希望と自信を与え、その民族独立運動を促したことです。
 地理上の発見以降、アジアは年を追い、世紀を追って勢力東漸の波に洗われ、白人国家の圧迫と支配を受けるに至りました。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アジア太平洋地域の諸国は西洋列強の植民地になるか、領土の一部を侵奪されるかの運命に於かれていました。その唯一の例外が日本でした。
 日露戦争は有色人種の白色人種に対する勝利であり、また立憲国家の専制国家に対する勝利の戦いでもありました。


 「大きな興奮がインド全土を駆け巡った。片田舎の村でさえ、インド人たちは車座になって、また夜は水煙草の壺の周りに集まって日本の勝利について語りあっている」とインドを旅行した英国人が書いています。
 もっとも衝撃の大きかったのは中国でした。日清戦争以後、中国人の日本留学生は漸増しましたが、日露戦争中からその数は激増し、戦争の終わった明治39(1906)年、東京在留の中国人留学生の数は1万5千にも達したのです。
 日清戦争での清の敗北は中国の知識階級に「日本はなぜ強いのか」との疑問を投げかけましたが、今や中国人留学生は直接日本の社会に触れ、日本が維新によって外圧を克服し、立憲君主制と富国強兵を通じて近代国家に躍進した歴史の道筋を理解したのです。
 ロンドンに在った孫文が、東京の同志の要請で再び日本に戻ったのは、明治38(1905)年、日本の決定的勝利によって東洋が感激と興奮に包まれているときでした。同年東京で『中国革命同盟会』が成立し、日本は中国革命運動の本部となったのでした。
 魯迅の弟の周作人は書いています。
「私が初めて東京へ行ったのは明治39年、ちょうど日露戦争の終わった翌年のことである。…そのころの日本は私どもに二つの大きな影響を与えたなだった。一つは明治維新、一つは日露戦争である。当時中国の知識階級は祖国の危機を痛切に感じ、いかにすれば国を救い西洋各国の侵略を免れ得るか、ということに最も腐心していた。そこで日本が明治維新を成功させ、変法自強の道を発見したのを見て大いに奮起し、ロシアに勝利したのを見て少なからず勇気づけられ、西洋に抵抗して東亜の保全を図るのは不可能ないことを思い知った。」
 日本の勝利が独立運動家に勇気と希望を与え、民族主義の機運を見り上げたのは、フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシア他多数に及びました。
・その13,第3章6節 日本語原文:http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Road13.pdf
・ 〃  第3章6節 英訳文:https://www.sdh-fact.com/CL/Road13E.pdf
令和5年5月8日
「史実を世界に発信する会」 会長 茂木弘道
協力者代表:神奈川大学教授 小山和伸
  *拡散大歓迎

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