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【母の教え🙏🏻 (商人の母メモリアル)】

まだウチがスーパーではなく、海無し県の山梨の魚屋だった頃、父が静岡の魚市場で働いていた母を「マグロと一緒に仕入れてきた」と言っていたことを思い出す。商才の無い父に代わって、私は「豪傑な母」に育てられた。

幼い頃から私に「お前は商人だから!」と言い聞かせ『帝王学』を叩き込んできたのも母である。


デパートに買い物に行った時「2つ欲しいものがあって迷った時、お前ならどうする?」と母が聞く。

「良く考えて1つを選ぶか、一旦家に帰って考えてからまた買いに来る」と私が答えると

✔︎2つとも買うんだよ!考えてる間に誰かに買われちゃうだろ。その時の悔しさを考えてごらん、お前は商人なんだから。

✅大学を出て初めて車を買おうと、中古車を探している私に対し「これからの若いモンが、人の手垢の付いた中古車なんか乗るんじゃない!足りない分は出してやるから、とにかく『新車』にしなさい!」

✅結婚してからもずっと母と同居してきたが、健康に気遣う妻が、料理の味付けも薄く、塩分も控えめにした結果…。

✔︎ウチは肉体労働なんだから、こんな薄味じゃ身体がもたない!もっと濃い味にしなさい!(ちなみに母は、漬物におかかをかけ、味の素を振りかけた後、醤油を足す💦)

母のおにぎりの具は「いくら」一択!(厳密には筋子)

「貧乏人じゃないんだから、梅干しのおにぎりなんか食べるんじゃない!」と怒られる。

✅近くの寿司屋に行こうとしても「人目がある!旨いものは隠れて食え」と隣町まで食べにいく。その時は寿司を食べた後、中華料理店にも寄る。
寿司屋を出る時には、全員で『数の子』を一本づつ口の中に頬張って出る (笑)

「就職?そんな難しい言葉は知らなくていい、お前は跡取りなんだから!」

母の怖いもの→税務署→保健所→警察署 (笑)

✔︎兄妹が多く、生い立ちが貧しかった母は、嫁に来てから少しだけ裕福になり、お金に対する執着が芽生えたのだろう。儲けた金は「内部留保」には回さず使い切っていた。昭和の時代、個人の繁盛店では良くある話だ。

私が25才まで店の2階に住んでいたが、母は店頭のザル商売(現金のやり取り)で貯め込んだ金で、隣町にご近所から『やまと御殿』と呼ばれる豪邸を建ててしまった(^^;

おまけに隣の床屋の奥さんがベンツを買ったことが気に入らず『BMW750iL (007が乗る車)』を購入。片道2kmの通勤に、リッター燃費2kmの車で移動する姿は、もはや近所の笑いのネタだった。(負けず嫌いの性格はキッチリ自分に引き継がれてしまった💦)


そんな母も現在「長生き病」という不治の病をこじらせて、未だにピンピンしている(^^;

「あんた、人前で話してお金もらってるなら、少しはこっちへ回しなさいよ!私のこと日本中で言いふらしてるらしいわね。あんたを産んだのはこの私なんだから!」

こんな生い立ちを恨む…(T . T)

※ 母は今夜も、商工会で自分の嫁入り当時に結成した『若妻会』の集まりに出掛けていく。メンバーの半分以上は天国(地獄?)からのリモート参加である🙏🏻


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【私はこんな人間です】


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