カルト宗教とその他団体の民主政に与える影響の差異
最近、カルト宗教やその政治活動を擁護する人が居る。
宗教弾圧がなんだの政教分離だの色々な言い訳はあるが、カルト宗教が民主政と日本人共同体の敵対者である事には変わりがない。
それを簡単に理解するには、カルト宗教とそうでない集団を比較し、それぞれに属す投票者の投票行動がどのように行われるかを見ればよい。
これは一部にカルト宗教と企業・業界団体・カルト的ではない宗教組織等のその他の中間団体とを同列に並べる事でカルト宗教に対する批判を避けようとする言説があるためである。
=============閑 話===============
なおカルト的であるか否かは適当な判断基準に照らせば、その特徴を著しく示すものとそうでもないものは容易に判別できるため、カルトかカルトでないかは論点にはならない。
議論になり得るのは破壊的カルトか否かであるが、応援される側からすれば日本人が霊感商法で数千万円取られようが一家離散しようが行方不明になろうがどうでもよい事であるが、日本人共同体の側であれば、百円取られるのでも看過しがたい。
この違いがゆえに、この線引きは難しい。
しかし、民主制に与える害の点でいえば、カルト教団の性質の善悪には関わりがないため、あらゆるカルトに対して同じことが言える。
==============閑話休題==============
さて、一般的な企業や業界団体、あるいはカルト的では無い宗教組織では、上の方針というものがあっても、投票先の最終的な決定権は投票者本人にゆだねられる。
こちらでは「こう言われたけど、自分はこっちの方がいい」という風になる余地がある。
一方、カルト教団の方はどうだろうか。
カルト教団の構成員たち、彼らの政治活動や投票行動は宗教活動と同一である。
つまり、教団の意志にそぐわない投票行動は即、背教行為となるのである。
彼らの教祖や教義に対する心酔はこれを許さない。
また宗教によるが、彼らはこれにより不幸になったり地獄に行ったりする、と信じさせられている。
結局、こちらには投票者本人の良心や自己判断で投票が為される余地はないのである。
つまり、カルト教団の構成員たちは自分の参政権を行使していても、実際には教祖等カルト教団の政治に対する影響力を媒介するコマに過ぎない。
これはエドマンド・バークが看破した民主政における専制に他なならない。
つまりは何者かが人々を啓蒙し、その考えを捻じ曲げる事によって独善的な政治的目的を達そうとする行為の最悪の形式なのである。
カルト教団による政治参画の試みは自由と民主政に対する危機でしかない。
まあ逆に言えば、カルト的な企業や集団であれば宗教組織でなくとも民主制の害にはなる。
ここで言うカルト的とは、カリスマ的指導者に率いられた熱狂的な集団という特徴を指す。
例えばネットワークビジネスなど宗教ではない集団であっても、振る舞いがカルト宗教のようになる可能性も大いにある。
であるからと言って、「カルト教団の政治活動も企業や業界団体のそれと同じだ、カルト教団への攻撃は自由と民主主義の否定だ」という風な愚かしい主張は慎むべきであろう。
なお、勝共連合がどうの国防が、愛国が、とかいう人もいるが、彼らの目的は愛国や国防それ自体ではなく、それを足掛かりにした社会・権力への浸透であり、それらは教団の繁栄を達する手段にすぎない。
そのような者達と共闘すれば、最期には彼ら無しではいられなくなり、最終的には、国民共同体を害してでも彼らの目的のために働かざるを得なくなってしまう。
実は私自身、今回問題になってる団体とは別のカルト教団と2回ほど共闘する機会があった(2回目は全く知らなかった)が、今では当然に関係を断っている。
「君子豹変す」
過ちに気づけば直ちにそれまでの言説や立場を翻すべきである。
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