見出し画像

澤瀉久敬「考えるということ」を読んで

こんにちは!大和魂です。

今回は表題の書籍についてご紹介したいと思います。初版は1968年で雄渾社から出版されました。50年以上前の本です。私はまだこの世に生まれていないですね。いかにこの本に出合ったかというと、大学の図書館で、良い本は無いかなと探していた折に見つけた本なのです。私は、今の出版されている本よりも古本が大好きでして、大学の図書館では古い本が集められた書庫で、おおーと男一人感動しながら、物色しているのです。見つけたときは何か引き付けるものがあったのでしょう。

さて、この本は一言で表すと、私が出会って以来何回も噛みしめて読むことになった伴侶的存在です。そのような本は他にも何冊かあるのですがそれは別の機会に譲ります。哲学の内容をわかりやすく、卑近な例を挙げて説明するということは非常に困難なのですが、著者はさらっとこなしています。

私の哲学との出会いですが、それは高校三年生に遡ります。高校の校長先生が退職される際に最終講義をしてくださいました。私はその場にはおらず、誰かが撮影した動画をYouTubeで拝見しました。先生は大学生時代に、哲学を専攻していました。途中に哲学者の顔写真と名言が載ったスライドを入れており、私はそれに影響を受けたわけです。そこに出できた哲学者はショーペンハウアーでした。そして紹介された名言は「運命がカードを混ぜ、我々が勝負する」でした。その時哲学って面白そうと感じました。哲学を読み進めるうえで難解な単語で躓くのではないかと考え、高校の図書館に高間直道の「哲学用語入門ー人間らしく生きるために」を軽く読みました。本格的に哲学者の書籍を読むようになったのは、大学一年生からでした。やはりはじめはショーペンハウアーでした。「幸福について」「読書について」を読み、難しいと感じながらも、自分が深みのある人間に少しずつ向かっていると実感していました。

さてさて、本題に戻りましょう。

この本は、「まえおき」、「考えるということ」、「理性について」、「デカルトの合理主義について」、「文明について」、「個性について」、「読書について」が書かれています。

「考えるということ」から、心に残る文章を抜粋します。

「試作しながら独断におちいらないためにはどうしたらよいのか。それには常に精神の自由を保つということが必要であります。それは言いかえますと、できあがっている概念や思想でものを、あるいは事実をながめることをやめ、自己を無にして、事実そのものに溶け入るということが必要なのであります。」(p26)

「アリストテレースが申しましたように、人間は本来知ることを欲するのであります。
 ところで、もし人間が本来そのようなものであるといたしますなら、考えるということこそ、まさに人間の本性なのであります。それによって人間は、ものを考えない植物や動物からみずからを区別するのであります。このように考えますなら、われわれ人間は考えざるを得ないのではなく、また単に考えずにおれないだけではなく、考えなければならないのであります。なぜなら、それによってはじめて人間は、真に人間となるからであります。」(p32)

現代人はものを考えることができているだろうか。養老孟司が言うには、考えることには体力がいる。いろんな現象に触れても、その現象が起きる理由について考察しようとせず、ただそういうものだと丸めてしまう、と。

情報の洪水に溺れながら生きる私たちは、触れる情報を身体が処理できる量にとどめ、一つの事柄を静寂の中、じっくり思考を巡らせることが大切なのではないかと思います。そして、新たな知識を消化し、自分の養分になるように努めていきたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?