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歴史小話集②

【史料批判の話】
歴史学の基礎は「史料批判」にある。眼の前にある史料が信頼に値する史料かどうか確かめる大事なプロセスである。
日本古代史の基礎資料は『古事記』『日本書紀』だが、いずれも官撰の史書なので、政権に都合の悪いことは記述していない可能性がある。日本国内に同時代資料はなく、史料批判のためには時代が下がる平安時代の史書(『古語拾遺』など)や木簡、金石文、中国の史書が必要になる。無論、それらも史料批判の対象となる。
こうした批判的研究を経て、その史料はようやく使える史料になる。文献の比較検討をせずに、記載内容を鵜呑みにしてはいけない。

【記紀の記述の信頼度】
記紀の記述がどこまで信用できるかは、『古語拾遺』や『先代旧事本紀』など、同時代を扱った他の歴史書や、中国の資料、木簡や金石文によって史料批判が必要である。その結果、おおよそ仁徳天皇以降の記述についてはある程度信憑性が確かめられていると言える。特に、埼玉県埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣によって、獲加多支鹵大王(雄略天皇)の実在が確認されたのが大きい。また、『宋書』倭国伝にある倭の五王のうち、斉、興、武の系譜が記紀の系図と一致するのも信憑性を高めている。
一方で、4世紀については比較対象となる史料がなく、現状、記紀の記述の裏付けができない状態である。

【名(みょう)の話】
名田(みょうでん)とは、平安後期から中世にかけて、荘園や国衙領の構成単位をなす田地のことで、開墾・購入・押領などによって取得した田地に、取得者の名を冠して呼んだものである。この名田の所有規模によって、大名・小名の区別があったが、その地域最大級の有力武将を大名と呼ぶようになり、いつ頃からか小名が使われなくなって大名のみ呼称が残った。その結果、大大名・小大名というねじれた呼称が登場する(小大名って大小どっちなんだ)。
そして名田領主=大名ではなく封建領主=大名になった。
ちなみに大名をタイメイと読むと、大きな名誉・名声の意になる。

【荻原重秀】
江戸時代の勘定奉行、荻原重秀は貨幣の改鋳を行ったことで評判が悪いが、実は先見的な財務官僚で、貨幣を世界でいち早く商品通貨から名目通貨に切り替えようとしたのである。重秀の思想は「通貨の価値は幕府が決める」で、当時としてはかなり先進的であった。
当初、幕府発行の貨幣は商品通貨で貴金属の含有量をもって貨幣価値を担保していた。それ故に通貨不足で、慢性的なデフレだったのが、重秀の貨幣改鋳で通貨量が増し、デフレ脱却にも貢献したという。このあたりの研究が進み、重秀は近年、再評価されつつある(以前は貨幣改鋳がインフレを招いたと考えられていた)。

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