第28回: 即戦力センバツ採用 (Apr.2019)

 日本は新卒一括採用が廃され通年採用が進むそうな。高度人材や特定技能といった外国人の受け入れスキームもでき、日本語という分厚い壁に守られているとはいえ、日本の若者を取り巻く競争環境はこれまでより厳しくなりそうだ。日本の伝統的な人事管理や経営手法も、優秀な若手を活用したい企業ほど変化を迫られることになる。が、センバツと聞いても “青春” しか想起されないくらい見かけの横並びが徹底された日本、果たして若者はどこまで戦えるのか、また企業はどう彼らをセンバツできるのか、厳然たる不平等が前提の当地から疑問に感じている。

 先日、インド国鉄の "新卒採用" が話題になった。正確には保線作業員や警備員・用務員といった入門職種の欠員補充だが、6.3万人の募集枠に2千万人近くの応募があったという。6・3・3制の日本に対して8+2+2制のインドの教育課程でClass 10 (高1相当) 修了以上が有資格とのことだが、最低限の要件のみを満たす応募者は170万人。応募総数の1割に満たないがそれでも競争率は27倍。残りはそれ以上の資格者で、大卒・院卒者も820万人含まれる。何らスキルを要しない基本労働職を巡って、高校生から博士までが殺到している。

 この手前には更に熾烈な競争社会がある。そもそも数十の公用語があるインド、州を跨げば言葉も異なるが、母語の他に英語とHindiは使えて当たり前、更にいくつかの地方言語を操る者も多い。必ずしも教育を受けたわけでなく、各所に仕える中で身に着けたサバイバル言語である為、読み書きができないケースも多い。言われた通り求められるままに振る舞う中で強かに技術を身に着け、常にステップアップの機会を伺っている。スラムから大富豪へ、は映画の中だけでなく、誰もが本気で思い描くストーリーだ。

 職を代々受け継ぐ身分制度が文字に “頼らない” 文化を支えているのは事実だが、文字を “使えない” ことで搾取の対象とされてきたことも想像に難くない。契約書面があっても誰かに読んでもらわねば分からない、内容はいいから早くサインしろ、と求められたら、信頼できる誰かに確認してもらってから、などと物を申せる身分でもない。お人好しほどなけなしの土地や金品を巻き上げられた経験から、我が子の世代はそれではいけない、とこぞって高等教育機関に送り込んでいる。

 このところ地方部や郊外にある学校を訪れることが多いが、地域の中核校ともなると学生はゆうに数千人を数え、経営陣・学長が一様に優秀なのは勿論、Visionaryであることが多い。学生や家族を取り巻く環境と地域の中で自校が担う役割、現役学生世代の関心事や将来への希望、教育機関としての在るべき姿等、未来志向で挑戦的な理想が、語られるばかりでなくどんどん試行される。特に産業分野との協業には関心が高く、“学生のためになる” と判断されれば、直ぐに “どう始められるか” の議論となる。日本との協業は誰に聞いても最も関心の高い分野のひとつだ。

 ある工科大学では3年生以降、学術探求・産業協同・一般研究と卒業後の進路を見据えたコース設定をしている。産業協同コースは民間企業が問題意識や研究テーマを持ち込んで、2年間かけて関連分野の知識習得から実習、企業インターンまでを行う、さながら企業研修所の様相を呈す。本に書かれた知識を学ぶのはもう十分、即戦力として現場で使える “実践的な何か” がない限り職にはありつけない、との危機感が背景にある。

 これを機会と捉えて取り組む日本企業は未だ極めて限定的だが、対して大都市からどこまで遠く離れても目に付くのがドイツ企業の名を冠した研究室・実験室だ。かつてドイツに通っていた頃、機内誌の世界地図であらゆる都市に直行便の線が延びていて衝撃を受けたのを思い出す。

 優秀な人材もスタートアップもそこここに溢れるインド、彼らを戦力に取り込むにはVisionと期待を明確にし、どう貢献してもらうか個別の役割設定が不可欠だ。インドでの即戦力センバツ採用の試みは、日本企業が新卒一括採用から抜け出す次の一手としてもお勧めしたい。

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