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「張り込みにはパンと牛乳をSecond ③」

「おい、何で居るんだ、何しているんだこんなところで!?」

東京駅で降りる人たちの、疲労感と安堵感が広がる車両の中で、息子の『丸山聖也』が緊張感を生み出した。
 

 
一瞬の緊張感によって、静止した世界とも感じられる思考停止の間(はざま)が生み出された。
人はその思考停止の間の中で、膨大な選択肢から何を選ぶべきか判断に迷い、その選択を人に委ねてしまう事がある。この間に言葉を発したり沈黙を破る行動が出来る人は、きっとこの間が生み出す影響の先を見通していたり、強い意志を持った人だと私は理解している。
難しいことではない。留まるのではなく、前に進むための力が必要なのだ。ただ、多くの場合、保身に走った言葉を口に出してしまい、誤解を生じさせてしまう。
 
 
 
「お〜、どちら様ですか?何のことでしょうか?」
聖也の父・ディーン マッケイの返しは間違いなく最悪なものだった。
 
 
「おい、しらばっくれんじゃないよ!なんで父さんがここにいるんだ!」
 
私は心の中で『そりゃそうでしょう。イギリスにいるはずの父親が同じ新幹線に乗車しているんだから、偶然にも程があるし、誤魔化せると思って知らないふりをする方がむしろ余計な状況を作ってしまうのが分からないのか?』と、突っ込んでしまった。
そして、彼にはこういうところがあることを改めて認識してしまった。
 
 
「も、もしかして、息子の、せ、せ、聖也なのかい?」
 
さらに私は『何その気付いてなかったような芝居。しかも生き別れた息子を見つけたような感動的な雰囲気を出そうとして、そういうところが無駄に人を苛立たせるのよ!すべってんのよ!』と、心の中での突っ込みが続いた。
 
「玲子さん、どうやら問題が起きたようですね。大丈夫ですか?」
和さんがかすれた声で私を心配して言葉をかけてくれた。
 
 
そう、大学時代、共に銀座でアルバイトしていたあの頃から、この人はいつも私を励ましてくれる。
もし、この人と結ばれていたらと考えたこともあるが、家庭を持ち、共に過ごす時間の中で、私たちの間に歩み寄れない亀裂が生じたとき、別々の道を歩むことを私はきっと受け入れ切れないし、この関係性を失うのが何よりも怖いと思い、踏みとどまった経緯がある。
大学時代の同級生として、友人、そして30年以上の親友としてこの人と関わる方が、私の人生にとって幸せなのを私は私に諭してきた。
 
そして、聖也の父であるあの人とは、夫婦という関係を終わらせたとしても続けなければいけない理由があり、そのことは先程立ち寄った福島の先生とも繋がっている。もちろん、聖也の両親としての関係性も続いていくのだが、それは聖也が成人したことによりひと段落ついたと感じている。
 
 
ただ、その意味でもこの状況は非常に複雑であり、福島の先生の話は聖也に知られないようにしなければいけない。
 
 
「和さん、聖也とあの人のところに行って、この状況を治めてきてくれると助かるのだけど・・・」
私の頼みの綱は、もはや和さんしかいなかった。
 
「玲子さん、詳しいことは聞きませんが、とりあえず東京駅に着いたら4人で話す時間を作りましょう。二人にはそう言ってきますね」
和さんは頭を掻きながら、立ち上がって二人の方へ歩いて行った。
 
 
「おい、ディーン、懐かしいじゃないか、こんなところで。せっかく会ったんだから、一杯行くぞ」
和さんは『何故ここに居るのか?』を問わずに、次の目的を明確に選択することで、やり場のない聖也の感情を整理する時間とスペースを作ってくれた。
 
「お〜、カズ、会いたかったヨ〜。明日連絡するつもりだったけど、こうして会えたなら話が早い。行こう〜」
 
 
「え〜、東京〜、東京〜、東京駅到着です」

あの人は席から立ち上がり、カバンを取り出して車両から降りた。
席に戻った聖也の独り言を耳にしながら、私たちも車両から降りた。
 
これから流れる空気を少しでも軽いものに出来るような、落ち着いて話せる場所を探しに東京駅を後にした。
 
 
 
 
 
「聖也、和宏、僕は明後日の飛行機で帰るよ」
 
「父さん、そんなことはどうだっていい。何で日本に来ているんだ。何で連絡をしないんだ?」
 
「それは、今回の目的は聖也に会うためでは無かったからです」
 
「わざわざロンドンから来るんだ。僕に会う目的では無いにしても、日本に来ることぐらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」
 
「今回はある事件の容疑者を極秘で追っていて、日本に潜伏しているという情報を掴んで来たから時間の余裕がほとんど無かったんだよ。そして、会えないのに、伝えるのは、逆に寂しい思いをさせると思って、連絡しなかったんだよ」
 
「その割には母さんには会っていたようじゃないか」
 
「そう、今回日本に来た目的を達成するには玲子さんの力が必要だったからです」
 
「そうですか。母さんには会う口実は合って、僕には無かったわけですね」
 
「聖也、勘違いしないでください。私だって、聖也に会いたかったし、あなたと沢山時間を過ごしたいといつも思っています。あなたがロンドンに来たら私は歓迎するし、伝えられることがあるのなら、何でも伝えたいと思っています。今回の日本に来るという情報を教えることは出来ませんでしたが、そのことであなたを大事にしていない訳ではありません。私はいつまでも聖也を愛していますから」
 
「父さんや母さんにどんな理由があるにせよ、僕は二人が一緒にいたことや、僕に知られずに済ませようと考えていることが残念でありません。むしろあなた達のこの考え方が、今の最悪の状況を作っていることを理解してほしいです。これでは僕の意志に関係なく、二人が離婚を決めたことと同じじゃ無いですか?それで息子に心配をかけたくないというのは全くの偽善で、仕方がなかったと言いながら自分達を優先して、僕の気持ちを踏み躙っていることがまだ分からないのですか?!」
聖也の中の、離婚の時に言えなかった感情が、時空を越えて胸に刺さってくる。
 
 
「聖也、もうその辺にしといてやれ。お前の気持ちは二人ともよく分かっているよ」
和さんの優しい言葉を聞いて、私は張り詰めていた緊張が解れ、泣き崩れてしまった。
 
 
「聖也、ごめんなさい。あなたには小さい頃から辛い思いをさせてしまった。父さんと母さんにどんな理由があったにせよ、幼いあなたを悲しませたことには変わりはありません。昔に戻ることは出来ませんが、父さんも母さんも、もう夫婦ではないが、あなたの親として一緒に生きたいといつも思っています。そのことだけは覚えていてください。ごめんなさい」
いつもユーモアでと皮肉が空回りしてすべっているあの人が、父親らしいことを言ってくれたことに私は内心ビックリした。

 
「父さん・・・」
聖也も納得してくれた様子。

それから私たちは、それぞれの心の中で今の出来事を噛み締めるように静かに過ごしていた。
 
 
 
「ふぅ〜、これでようやく落ち着いて息が吸えるな」
和さんが長い沈黙を破るように言葉を発した。その言葉はどこか慈愛に満ちているようで、いつかこの日が訪れるのをずっと願っていてくれていたような温かさ持っていた。

 
「そうね、何だかんだ言って、こんな風にお互いの想いを言い合うことなんて、ほとんどなかったからね。ちょっと疲れたけど、肩の荷が降りたような気がするわ」
いつも聖也の前で見せていた『あの人に対して厳しい私』から解放されたことを私は喜んだ。
 

「最初の声をかけた時の、父さんのあの惚け方。思い返してもあんなの通用するわけないよね」
あの人の振る前に対して、皮肉を言うほどの余裕が聖也にも出てきたようだった。

 
「昔の話だけど、ああやって誤魔化して上手く行ったことがあったし、面白いと思われることもあったから、つい知らないフリを最初にしてしまうクセがついたんだよ。ただ、さっきはバッドダイミングだった・・・トホホ・・・」
成功の経験が頭でっかちの人間を作る場合もある。どこまでが冗談で、どこからが本気か分からないこの人のリアクションは、今回のことで影を潜めるかもしれないと私は期待した。
 
 
 
「ところでディーン、最近ロンドンを中心に国際指名手配をされる奴が増えているが、今回のお前が日本へ来たことに何か関連があるのか?一体ロンドンで何が起きているんだ?」
和さんのベテラン刑事としての勘が騒ぎ出した様子だった。
 
「その件については、詳しくここでは言えないが、ロンドンとアメリカ、シンガポール、そして日本に関連した水面下での動きがあることは確かだよ。もしかしたら、和宏、君に力になってもらう日が来ると思うから、そのときは頼むよ」
いつも陽気なあの人が、いつになく険しい表情を浮かべているのを見て私はことの重大さを感じ取った。
 

「父さん、和さんだけで僕の力はいらないのかい?」
聖也は険しくも大きな事件に対して目を輝かせているように見えた。
 
「もちろん、その時は聖也、あなたの力も必要です。和宏が育ててくれた力を発揮してくれることを私は望んでいます」
ディーンも聖也の気持ちを受け止め、そして刑事として期待しているように見えた。
 

「お前にはまだまだ教えてやらなきゃいけないことがたくさんあるがな」

和さんは聖也の頭をポンと叩きながら、少し皮肉めいた言葉で場を和ませた。
 
 
 
その時、私の電話に銀座でママとして働く『さつき』からの着信があった。

「どうしたの、さつき、久しぶりね。どうしたの?」
 
電話の向こうでは大きな物音が鳴り響いていて、さつきの声が聞こえない。


「玲子・・・」

さつきの声がようやく聞こえてきたそのとき、後ろで何かが爆発したような音が聞こえた。
 
 
 
「さつき?さつき?!」
 
 
 
 
 
つづく

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