修養 (新渡戸稲造) を読みました。
先日、ユニ・チャーム高原社長のユニ・チャーム共振の経営を読んだのですが、そこで高原社長の座右の書として挙げられていたのがこの新渡戸稲造が書いた「修養」です。
久しぶりにゆっくりと時間を掛けて読みました。
・修養は、「武士道」を書いた新渡戸稲造が働く青年や一般人に向けての意識改革のためにと書かれた本で、当時明治44年 (1911年)ベストセラーとなった本とのことです。 修養は、今で言う「教養」「練習」みたいな意味で、当時は流行語のようになったようです。
・ゲーテ、西郷隆盛、徳川家康などの引用分も多く、継続することの大切さ、克己することの大切さ、逆境への向き合い方、黙思(瞑想)することの大切さなどが書かれていました。問い立てが素晴らしく、約500ページほどある大作なのですが、ゆっくりと時間をかけて読みました。
・ 最後の方にも書いてあるのですが、多くの偉人たちの秘訣は特段変わったことではなく、真理とは当たり前のことであり、生活の工夫や地道な努力だったりを欠かすことなく、人生を堂々と歩むことであると書いてありました。改めて人として当たり前のことを愚直に継続することが大切なのではなく、それが全てでそれしかないだと改めて感じました。
この本にも何度も書いてある徳川家康の遺訓を最後に引用したいと思います。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
まさに家康にしか言えない言葉で、深みがあります。また家康研究をしたくなりました。
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