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useless thing(2)

 この記事は、昨日の記事の続きであるのでぜひ、そちらのほうも読んでいただきたい。

 まぁ簡単に言うと、世の中には無駄というものが多いと筆者は思っているが、無駄なものはないという人もいる。それは考え方の話であって、やっぱり何かを成し遂げる過程には無駄というものは避けられない、といった内容であった。

 そこで一つの提案をしたいというところで記事が終わっている。非常にもやもやしただろう。その感情自体は無駄ではない(と断言するつもりもない)。

 ここで余談を入れる。(さっさと提案が見たい人はこのブロックは飛ばし読みをして構わない)筆者は、日常ルーチンというものをかっちり組んでいる。というのも、学生という身分であり、一日のほとんどを自由に過ごせてしまうので、その自由を少し引き締めるために、強制力としてルーチンを組んでいる。その内容は、朝起きて、洗顔をして、洗濯機を回し、軽い朝食(ピーナッツとか)、筋トレメニュー(軽いもの)、その日更新されたarxivの論文アブストを全部読んで気になった一つの記事を全読etc. ここまで見るとまるでものすごくまじめで勤勉な学生という風に感じるかもしれない。これは一部である。実はルーチンの中に、好きな毎日更新するyoutuberの動画のチェックをする、ゲームのログインボーナスを受け取る、のように娯楽を一緒に混ぜている。

 余談を終えて、提案に入ろう。その提案は余談の最後を見るとわかるが、敢えて無駄なこと、目標とは関係ないこと、ただの時間の浪費を意識して行うということである。

 私がルーチンを組んだ理由は二つある。自由な日常に強制力を与えるということと、理想の自分というものに近づくということである。強制力に関してはいいとして、やはり、ルーチンを組む際に日常やらなければならないことを取り入れるというより、理想の体を手に入れたいとか、この知識を身に着けたい、もっと具体的には、この資格が欲しい、みたいな感じで今の自分というものに対して目標の自分というものを意識したときに、その目標に近づけるためにルーチンを設定するものだと思う。

 ただ理想の自分というものに到達する道のりは決して楽ではない。むしろ、自分に負荷をかけて鍛えてはじめて一皮むけた強くなった自分というものに出会える。

 そういうことなら全く無駄なものを排除して、自分のためになるものだけを取りそろえればいいじゃないかという突込みが飛んでくるかもしれない。それではこの二編にわたってお送りしてきた記事が意味をなさない。本当に無駄なことかもしれない。

 この提案をしたのは、無駄を敢えて目標への道筋に組み込むことで、無駄に対する罪悪感や、気持ちの途切れを断続的なものにして、安定して目標に到達できるのではないかと考えてのことである。

 この提案が無駄だと思うのであれば、忘れてもらって構わない。

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