住んでる世界が違うことは悪か?

 将来は一軒家に住みたいとか、高級マンションに住みたいとか、海の見える街に別荘を建てたいとか、住処について思いをはせることがたまにある。

 人生の三本柱である、衣食住のひとつ、家を充実させることは人生を豊かにするための一つの方法であると考える。

 どんな家がその人にとって充実しているかはまちまちであると思うが、やはり豪邸というものにはあこがれを持っているものだと思われる。

 そういった望みを世間では高望みというらしい。「あの人とは住んでる世界が違うから」そういって距離を置く。その理由は様々であろう。「そんなことができるのは一握りの才能を持っている人だけ、私にはない」「そういったものを幸せとは感じない。何気ない日常、普通に平和に健康に過ごせるだけでまるもうけ」「ああゆうキラキラした世界は胡散臭い人が多いんだよね、人としてはどうかと思う」

 いろいろなことを感じるとは思うが、一つ目の理由と三つ目の理由については、筆者なりの持論がある。

 一つ目の才能について言及してる人について。
 これは確かに世の中には才能を持っている人というものが少ないがいるとは思う。それは努力する才能だったり、生まれ持った環境、優秀な知人に囲まれているなど。運のいい人ともいわれる。だからといって自分があきらめる理由にはならない。その点を比較して自分はできないと決定づけるにはあまりにも論理が飛躍しているような気がする。人は人、うちはうちである。これは基本的には、他人をうらやむ際に親等から言われる言葉で、「ないものねだりをしても仕方がない」という意味だと考えている。だからこそその意味を深堀して、あるもので頑張っていくことで自らの理想を勝ち取ることこそ人生の達成感が得られるのではないか? 私はそう考える。

 三つ目の意見について。胡散臭いと思うことは仕方がない。こういった目で見られる人たちに共通することとしては、まだだれもやったことのないこと、新しいことをやって、今の地位というものを手に入れているからである。これはある意味で、常識外れのことをしているととらえられることはそれを実行している人たちもある程度想定済みのような気がする。勝手にそういった意見を言うことは構わない。しかし、あまりにも短絡的であるし、しつこい。特に質の悪いこととして、そうやって地位を手に入れた人たちに対して、勝手な常識を押し付けて、そうやって儲けることは間違っている!!!と思想を押し付けてくることである。足を引っ張ってくることである。

 違う世界を生きている人たちに対して、僻み、妬みの対象とするその性悪根性はいかがなものか。

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