「怒り」の感情をだすと、涙が止まらないのです
最近はSNSやらなにやらで、喧嘩をしている動画やトラブルが起きて罵声が飛び交うような動画が、よく流れてくる。よくもまあこんなにも「怒る」ことができるなぁと感心しながらも、とりあえず残り2秒となる再生時間までしっかりと見ている。
そんな些細なことで、わざわざ怒らなくてもよいのにと感じるが、水のように沸点の温度が決まっているわけではなく、人間は人それぞれが違う温度で沸き始めるものなのだ。
T-falのような早さで怒りを頂点に持っていける人もいれば、残りわずかのエネルギーしかないガスコンロで、鍋いっぱいいっぱいの水が沸騰するまで待つかのように、怒りの感情が出にくい人もいる。
僕はどちらかというと、温厚な方だと思う。怒ったこともあるし、喧嘩をしたこともある。けれど、そう頻繁ではない。
そもそも怒ることに使うエネルギーがもったいないと感じるがゆえに、怒ることを諦めてしまっている自分がいる気がするのだ。
そんなことを考えていると、高校生のときに、チームメイトに対して激怒したことを思い出す。
僕は「怒り」の感情を人や物にぶつけた時、悲しいわけではないのに自然と涙が溢れでてきてしまうのだ。
最後の夏の大会前のことだった。
本気で甲子園を目指していた。いや、甲子園というものの距離は、高校生の僕には、全く理解できていなかったかもしれない。けれど、とにかく試合に勝ちたかったから、勝つために必要な練習をしっかりとやらなければいけないと、僕なりに強く思っていた。
その中で、真面目に練習に取り組もうとしない仲間に苛立ってしまい、みんなを集めて自分の気持ちを伝えようと思ったことがあったのだ。
集合をかけて、みんなを学校内の広場に座らせた。3年生はあぐらをかいて座り、下級生は体育座りをして、前に立つ僕を見ていた。
「こんなことしてて、勝てると思ってんの…?なあ!!何のために練習してんだよ。試合に勝つためだよね?甲子園を目指すためだよね?」
いつもふざけて騒いでいるヤンチャな部員が、急に叫び出す僕を見て、何熱くなってんだよと小さく呟いた。
「3年生のレギュラーメンバーが怠けててどうすんの?それで勝てるのか!?控えメンバーもだよ!レギュラーが怠けてるなら怒れよ!」
時には喝を入れることも必要だ。嫌われようが思ってることを言うことは必要だ。とにかくみんなにしっかりと練習をして欲しかった。同じ方向に、同じ意思を持って進んでほしかっただけだ。
けれど、僕はみんなの前で涙を流していた。次から次へとこぼれ落ちてくる涙を拭きながら、おかしいよ、おかしいよと部員の前で泣きじゃくっていた。
悲しいわけではなかった。ただ思っていた怒りを表にだして、自分の意見を伝えたかっただけだ。みんなの意識を変えたくて、声を上げただけだった。結果的に小さくか弱い声で震え泣いていたよく分からない上級生が出来上がってしまった。
おめえらふざけんな。俺についてこい。やる気ないやつは帰れ。
そんな力強い言葉で、頼り甲斐のある大きな背中を見せ、リーダーシップが発揮できればよかった。
ただみんなの前で泣き、怒ってんのか悲しいのか虚しいのか、自分でも分からない感情に振り回されていた自分は、なんだか惨めだった。
周りのみんなも、僕の感情に感化されたものもいれば、何でこの人は泣いてるのかと全く心に刺さらないものもいて、何ともいえない空気に包まれ、空中分解されてぐしゃぐしゃになった。
僕は「怒り」という感情が嫌いなのだ。嫌いな理由はたくさんある。
誰も良い気持ちにならない。
怒られた方が悲しい気持ちになる。
エネルギーを使う。
そもそも怒ることに慣れていない。
感情がおかしくなる。
感情の器から溢れでて、自身を制御できないほどハイになってしまうと涙が出てくるのだ。
普段から感情が大幅に動くことがない僕は、本当に怒ってしまう(心の底からキレる)と感情のコントロールが効かなくなる。
制御ができなくなるのだ。(暴れて記憶無くすまたいなヤバいやつではない)
そして怒っても感動しても、涙腺が刺激されて泣く。
泣きたくて泣いてるわけではなく、感情がぐわんぐわんと壊れたメトロロームみたいに右へ左へと忙しなく動きまくって泣く。
僕にとって「怒り」は自分の感情のリミッターが外れてしまうということなのだ。
普段から沸点が低い人というのは、このリミッターがちゃんとセッティングされているからだ。外れたら怒り狂うだろうし、そうなると感情が狂って落ち着かなくなる。
己の感情にしたがって、自然と怒ることができる人が羨ましいなと思う時もある。でも単純に心のままに怒ってしまったら、僕はきっとわがままな子供っぽくなって、泣きじゃくって、自分を見失ってしまう。
同じような人はいるのだろうか。
怒りの感情が起きない人は、"周りに期待していないからだ。期待していないから裏切られることもなく、怒らないんだ"と言われているのを見たことがある。
"だから優しいのではなくて無関心で冷たい人なんだよ"
この意見には、一理ある。けれど僕は否定したい。
自分の感情を守るために、落ち着きを保つために「怒る」ことを選択していないだけだ。少なくとも僕はそう思っている。
時には怒ることも必要だとは思うが、必要以上に怒ることもないだろう。短気は損気。これからも僕は変わらないと思う。
怒った時には泣いてしまうし、ぐちゃぐちゃになるのが嫌だから極力怒らない。自分の感情を大切に守りながら、生きていこうと思う。
そんでもって、ホントに「怒り」が生まれたら、
大きな声で泣き叫びたい。
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