サン=テグジュペリと低空飛行

「飛行機は、機械には相違ないが、しかしまたなんと微妙な分析の道具だろう!」

雨の降る夜に、駅から歩くとどうしても足先がじわりと濡れてしまうのを、不快に思いながら家に着くと、郵便受けにチラシがたまっており、水道工事のマグネット式のそれが(自分のポストからでなくても)落ちているのを見るとさらにどっと疲れがやってくる。とりあえず数枚のくしゃくしゃにおしこまれたチラシをひっつかんで読むともなくみていると

「東京上空 騒音 落下物 資産価値低下
羽田新ルート 超低空飛行撤回を」

という文言が紫地に赤や黄色で強調されてあるのに気づいたのだが、このどこかアメコミを思い出させるような奇抜な配色のチラシ、というかアジビラ?(日本共産党が配布しているチラシなのだ)を見て、思い出したのはなぜか上に引いたサン=テグジュペリの言葉だった。

もちろん飛行機にも航路というものがあるということは知っているし、サン=テグジュペリはヨーロッパから南米大陸への航路開拓について、飛行機乗りとしての矜持とそれと不思議にも釣り合うある種の謙虚さでもってその体験を書いているのだから、そういったものを読めば、空の道というものについて理解はできるはずなのだが、同時にこの飛行機乗りの作家は「離陸すると同時に、ぼくらは、水飼場から家畜小屋へと行きたがったり、町から町へと練り歩きたがったりする道路を捨てる。」とも書いており、空路というもの、飛行機がその見えない線をなぞるようにして飛ぶということが、空の法を犯すようなものに思えてしまうのだ。

飛行機は地上の法を知らない。地上の平面的な法を飛行機は知らず、異次元の宇宙的な法(それは法とは呼べないかもしれない)に身をゆだねる。「この道具がぼくらに大地の真の相貌を発見させてくれる。」とサン=テグジュペリは書いた。地上にはおびただしい数の道があり、それを同様にたくさんいる人々が通って行く。宇宙的な「空の法」はそれらを知らないだろう。しかし低空飛行は?共産党のビラは黄色の文字で「ルート下近辺 人口は270万人 超高層ビルは428棟」と書いている。低空飛行はもはや宇宙的な「空の法」ではなく、かといってそれは地上の法でもない。低空飛行によって飛行機はそのすぐ下におびただしい数の道と、それを通るたくさんの人々(270万人)と「超高層ビル」 を見いだすだろう。

サン=テグジュペリが見出だした「大地の真の相貌」は牢獄としての自然だった。飛行機以前、人間は道路の曲折に導かれ、「灌漑のゆきとどいた多くの土地」や「多くの果樹園」や「多くの牧原」しか知らなかった。しかし低空飛行は?低空飛行は「真の相貌」としての東京を見つけるだろう。270万人の人間のひしめきあうさまを。学校を。病院を。多くの会社や役所や図書館を。そこは「空の法」の届くはずのない土地、かぎりなく都会的な「人間の土地」なのだ。

サハラ砂漠に不時着したサン=テグジュペリは言った。

「我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる!ぼくらこそは救援隊だ!」

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