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2024年3月の記事一覧
序論1 「信じる」ということについて
天理教という宗教においては、「教祖中山みき」の存在は「神」と同格であり、神聖にして侵すべからざる対象として位置づけられている。天理教と関係ない人間にとっては、世界史の教科書に出てくるシャカやキリストがそうであるのと全く同じように、中山みきという人もまた、単なる「歴史上の一人物」であるにすぎない。
従って、同じ中山みきという人の伝記を書くにしても、天理教という宗教を信じている人間がそれを書くのと、
神として生きた女性 はしがき
中山みきという人の伝記を、私は書こうとしている。
「神として生きた女性」の伝記である。
神の気持ちというものは神にしか分からないものであるだろうし、女性の気持ちというものもまた、女性にしか分からないものであるだろう。私は神でもなければ女性でもない。人間の男として今日まで生きてきたのが私である。
人間で、かつ男性。文字にしてみただけで罪深い印象が漂ってくる自己紹介だと思うし、事実いままでの人生