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240707_記述017_ものづくり村③「やま設計」の名前の由来

唐突なようだが、自らがやっている事務所名についての意味を紹介しておきたいと思う。というのも、少なからずものづくり村に関わることでもあるからだ。

自分は個人事業主として活動していて事務所の屋号を「やま設計」と名付けている。ものづくり村の構想は10年近く前からぼんやりと思っていたが、やま設計を開設したのは2021年の4月なので現在は4年目だ。なぜ「やま設計」という名前なのですか?とよく聞かれる(昨日も聞かれた)ので改めて紹介したいと思う。
主には4つの理由がある。

1つ目は、尊敬している方からの影響だ。
前職の建築設計事務所に勤めていた時に、宮城県石巻市の海辺でレストランを作るというプロジェクトがあった。そこで一緒に建築を作ってくれた工務店の所長さんと過ごす時間が自分の中で大きな影響を与えている。その所長さんは佐々木さんという方で、アトリエ海という工務店名で事務所をやっている。佐々木さんは建築業界ではなかなかの有名人だ。東北で建築を作るならこの人に作ってもらいたいという設計者は多い。とても難しい工事であれば東京の現場でも佐々木さんを呼んでお願いする設計者もいるぐらいだ。
佐々木さんは大手ゼネコンに勤めていた時に石山修武という非常にラディカルかつサイコーな建築家(ここでは簡単に表現している。私もとても好きだ。)と協働したときに今までの常識が何も通用しないような工事で、こんなにも建築は自由なものづくりの世界なのかと衝撃を受けたそうだ。石山修武との協働が続いてから佐々木さんの建築観は劇的に変化したとのこと。佐々木さんはせんだいメディアテーク(ある雑誌では平成で最もすごい?日本の現代建築と評されていた。)をゼネコン時代の最後に担当して、その後自分の工務店「アトリエ海」として独立をすることになる。
一般的に工務店というのは現場を管理して工事がスムーズにいくようにスケジュールやコストなど様々な要件をマネージメントをした上で、各業者と協働しながらどのように工事を行うかを指示・調整・検討して作っていくのが主な仕事で、どちらかというとマネージメントの重要性からその部分に寄りがちである。ただ、佐々木さんは違う。なぜなら石山修武との協働で衝撃を受けたからだ。佐々木さんは独立後は設計もやり始める。工務店としての仕事は当然確実に進めつつ、自分が良いと思ったデザインも提案する。それだけではなく、現場に向かう車の中では毎度僕に向かってこんな建築があったら面白いと思う!と非常に具体的な方法と空間的なビジョンを交えて少年のようにとても純粋に楽しそうに語ってくれた。その時、佐々木さんは70歳。佐々木さんは工務店とは別の場所にある山の奥に自分だけの建築実験アジトを持っている。日頃新しい建築の方法がないかをひとりで模索しているようだ。
正直言うと、この時の自分は大変未熟だったために設計者として良い仕事が出来たかと言うと全然だめだめだった。佐々木さんも出来ないやつだなと思っていたと思う。もしかして僕のことも覚えていないかもしれない。この仕事でのたくさんの後悔は心に刻んで、それを糧に今も仕事をしているつもりだ。後に自分が独立し始める時には前職で出来なかったことの悔しさも持って行こうと思っていたが、それ以上に70歳を過ぎても一人で徹底的に仕事・人生を楽しんでいる建築業界の大先輩へのリスペクトの眼差しも勝手ながら持ち込みたいと思った。
アトリエ海の名前は、仙台の海の原風景から取っていると佐々木さんから聞いたことがある。それを断片的に覚えていた。そして自分が事務所名を決める時にこのことが頭に浮かんだ。自分も佐々木さんのように一人でも楽しく挑戦し続ける最高にものづくりが好きな人になりたいという思いから、この名付け方を勝手に引き継いだ。
自分の原風景には海はない。京都の嵐山の麓で生まれ、山科という地で育ち、その後引っ越した先も吉田山という山に位置する。両親はその場所で今も飲食店を営んでいる。自分にとっての原風景は海ではなく、山だ。山に降った雨が最終的には海に流れ着く。2つは対照的な関係に見えて繋がっているような、そんな関係も気に入った。「やま」で行こうと思った。

2つ目は、「やま」の複雑さ、多様さ、面白さである。
佐々木さんのリスペクト、そして原風景としての「やま」。ぼんやりと自動的に出てきた名詞「やま」を考え始めるとなかなか面白い。自分は山登りが趣味というほどではないけど、たまに山に登るとすごく清々しく楽しい。色んな動植物が棲みついていて大変気持ち良い。京都の実家の部屋からは大文字山が結構しっかりと見えるのだ。山を登るのとは違い、眺めるという楽しみ方もある。絵に描いてみると皆が空との境界になる輪郭線を描く。線一本で山だと分かる。⚪︎⚪︎山と名前が付いていても実際には全部が連続した起伏のある地形だ。地質も違えば、植物も違う。人工林もあれば原生林もある。季節によってどころか毎日表情を変える。近づけばとてつもなく具体的なシーンに遭遇できるし、遠くから見れば一本の線で描けるほど抽象的なシンボルにもなる。瀬戸内の山は子供が描いたフィクションのような丸みを帯びているし、何も注目されないような平らで地味な山もある。山に降った雨水は地形を削って川を作り、海まで運ぶ。その果てしなく長い道のりに絡みつきながらあらゆる動植物が誕生して死ぬ。何百年か何千年か、時には噴火もする。
「山」なんて大袈裟な名前なのかもしれないと思ったが、いや、この雄大さこそが素晴らしいのではないか!と、自ら想像した壮大な山の物語・文脈が後押しとなった。
そして、もうひとつの「設計」という言葉は、自分が結局のところやりたいことの軸となる行為名を持って来た。デザインというと自分としてはぼやけるような気がしたし、アトリエというとある特定の空間を想起させてしまう。もう少しだけ堅さを持ち合わせたイメージとして「設計」を加えた。
「山設計」、うーむ…。なんとなく柔らかさと抽象性を文字列のバランスの中で表現したいと思った。そして「山」という漢字的意味合いを取っ払いながら、さらに抽象度を高めた、自分なりの意味付けをしていけるような感覚を含めたいと思い「やま」とひらがなにした。今から作っていけるイメージとしての「やま」。何らかの雄大さへの憧れを向けた「やま」。

3つ目は、栁 圭祐(やなぎ けいすけ)個人だけが主ではないということ。
もちろん最初は自分一人で事業を始めるのだが、それは自分がワンマンでものづくりをすることではないと思っていた。何らかの組織的なイメージを持っていたし、共同(協働)しなければ作ることはできないと思っていたからだ。これは設計する側の人間だけが共同(協働)することではないと思っているところもある。クライアントや発注先の業者、人間ではない環境も含めた組織体をプロジェクトごとに立ち上げていくイメージだ。それらが空間化されてはじめてモノとなると思っている。これは2つ目の理由の「やま」というものにも繋がる考え方でもある。あるモノを作り上げていく時に、人間も含んだ環境全体としての連関状態を大事にしたいと思っている。前述したように、具体的な循環現象においても、抽象的な表象性においても「やま」はその基盤である。そのように個人だけが主体ではなく、共同体的な連関組織を作り目指していきたいと考えているところから自分の個人名を取り外した。

4つ目は、建築だけではないということ。
自分個人は建築家という肩書きで名乗っている。学生時代では建築設計を専攻してきたし、前職も建築設計事務所に勤めてきた。10年以上も建築を考え続けてきたので建築設計的な思考を無くすことは難しい。自分も建築的思考を取っ払うことは必要がないと思っているし、古代からある建築家という職能は素晴らしいと思っている。
ただ、事務所名としては建築を入れる必要はないと思った。ものづくりや仕事の対象は建築だけをやりたいわけではないからだ。あくまで何らかの空間や場所を作る事務所だと思ったし、私個人が建築設計的な思考でそれらを扱えば良いと思った。建築は単なる表現形式でひとつの方法だと思っている。ジャンル問わずあらゆる形式のものづくりに挑戦したいし、その形式自体もゼロから考えたいと思っていたからだ。そのために私個人が建築家としてどのように考えるかが重要なのではないか、そう考えた。


このように「やま設計」という名前には4つの意味が込められている。連載としての「ものづくり村」に関係ないように思えたかもしれないが、あらゆる活動に向けてのとても重要な態度がここにはある。
そして「やま」と「村」。なんだか近しい関係のようにも思える2つは根っこの方では関係しながら絡み合っているような気がしている。

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