見出し画像

旅の手段としてのトレイルランニング

そうだ、僕は旅が好きだった

単なるスポーツとしてのトレイルランニングに飽きている

趣味としても仕事の1つとしてもトレイルランニングをしています。仕事といってもいわゆるプロランナーという立場で大会で優秀な成績を残したり、スポンサーをつけて走っているわけではありません。そもそもそんな速くないです。
アウトドアアクティビティの入り口の1つとしてトレイルランニングというツールを活用している感じでしょうか。
主な活動としては、里山で月一開催している #初沢3耐 。開催の目的や狙いなどは過去の記事に書いています。

以上の記事をお読みいただければなとなくわかっていただけるかと。(読んでくれるととても嬉しいですが無駄に長いので読まなくても全然良いです)
上記の記事の内容を簡単に(そして、やや口悪く)言うと「スポーツとしての目線だけでトレイルランニングを捉えるとつまらなくなる」です。それはただの山で行うマラソン。気持ちよく走りたいなら別に舗装路で良いのね、って話です。(あくまで個人の感想)
場所がどうであれ「走る」という動作を行えば勝手にホルモン分泌やら血行が良くなるんで調子良く感じるものです。もちろん、それまでに至る修練の程度によりますが。運動不足の方がいきなり走ったら苦痛しか感じなかった、というのもよくある話なので。

もちろん、スポーツは好きです。スポーツに打ち込む方も好きですし心から応援しています。しかし、トレイルランニングを単なるスポーツで終わらしてしまうとその魅力が半分も伝わらずに終わってしまう気がするのも事実。
トレイルランニング自体が大衆化することは非常に喜ばしい、これも心から思ってます。誰もが山に踏み入れることは自然と触れ合う時間が増え、創造性を掻き立てるとともに健康にもすこぶる良い。
そこにレースなどで順位をつけたり、制限時間を設けたりするのも場合によっては励みになります。〇〇というレースを完走した、という実績が残るので本人の自尊心の向上にも役立ちますし、同じレースを出て境遇を共有してきた方と仲間意識も芽生えます。(「あの時間帯は土砂降りで大変でしたよね〜」と辛かった思い出も良い思い出話のネタになります)

ですが、最近の傾向を見ると大会数そのものが増えるに従い、競技スポーツとしての側面が強くなりすぎている気がします。速さ、順位、完走のためにやること、準備するギア、練習会・・・・
特に舗装路のランニングからトレイルランニングに移行または並行して楽しまれている方は激増しています。同じ「走る」という運動様式ですが当然のことながら環境が別物。トレイルランニングの場所は「山」です。どれだけ登山道がしっかりと整備れていても「自然」の中です。何が起こるか、何が出てくるか予測できない場所。そして、全て起きたことに対する責任は自分が負うことになります。

転倒してケガをする、野生動物に出会う、道に迷うなどが典型です。もちろん滑落して死ぬことも自己責任。基本的に自分の身は自分で守る必要があります。
しかし、週末となるとトレイルランニングを楽しむ方がこぞって集まる高尾山の麓に住んでみてわかるのが「スポーツマン」の急増。あ、これ少し皮肉っぽく言ってます。

ここでいう「スポーツマン」とは自分のスピードや気持ちよさを重視、他者への気遣い・マナーや自然への配慮がなく、山でのリスクヘッジができていない方を指します。つまりは舗装路のマラソンのエゴをそのまま山に持ち込んだ方、という意味です。

全てのスポーツマンはアウトドアマンではない

しっかりとした数は把握していませんが、今年度の100マイルレースの完走率が低かったと耳にしています。(実際どうなんでしょうか)
『量の増加は質の低下』とよく言われますが、トレイルランニング業界はまさにその状況にあるのではないかと推測しています。
「100マイル(約160km)」という距離と言葉が割とメジャーになってきたこともあり、トレイルランニングをされている方には「いつかは100マイルを完走したい」という方を散見します。目標を持つことはとても良いこと。応援します。

ですがこの100マイルという言葉をメディアがミスリードと言ってよいほど煽り、走力や経験の少ないランナーがこぞって出場することで完走率低下が起きているのではないかと思います。それに合わせて事故リスクが反比例して増えていると予想。

100マイル、100マイル五月蝿い

完走率低下の背景には普段の全国各地でのトレイルランナーの怪我や事故、ハイカーとのいざこざなどが隠れていると考えられます。
僕自身、週末に南高尾山稜(高尾山域の中でもトレイルランナーがよく使用するルート)は行きたいと思いません。思いやりのないランナーが1人はいるので気分が悪くなるからです。

こういった経緯から段々とスポーツとしてのトレイルランニングから遠ざかっています。故に大会などへの熱量がほとんどない。たまには出ますけど。
最近はもっぱらトレイルランニングを単なるスポーツではなく、純粋なアウトドアアクティビティ、コミュニケーションツールとして楽しみたいと考えています。

近い将来トレイルランニングで大きな問題が起こると予想しています。全国的に叩かれるレベルの。

自由な山旅の手段として走る

運動の種類からするとトレイルランニングは明らかにスポーツ。有酸素運動です。サッカーやトライアスロンを楽しんでいた20代半ばからトレイルランニングをメインに楽しむようになり、変わったのが「景色」による影響。
前者はゴリゴリのスポーツ。限られたエリアで行い、タイムや記録がはっきりと出るもの。後者はもちろんタイムや記録が出るもののそれ以上に山の景色が感動的。この結果に大きく関与しない、いわばオプションである感動がこれまで楽しんできたスポーツとは違う部分。

自分の体を移動させて景色を楽しむ。これは旅です。山旅。
よくよく考えると僕にとってトレイルランニングは旅を遂行するための「手段」に過ぎないのではないかと思う。
なので順位や勝ち負けにこだわらず、自分の気持ちよさや同伴している仲間がいるなら辛さや苦しさ、景色を共有するコミュニケーションにもなる。

旅に過剰な「数字」を求めると窮屈になる。何時にどこへ着いて、何時にこのお店のランチ食べて・・・など。山旅でなくても普通の旅行でもあまりスケジュールを詰め込みすぎるとどうもリラックスできない。旅先を歩いていたらふとよさそうな小道があったら入りたいタイプなので「数字」や「スケジュールを遂行する」よりもその時の気分や直感に従う「自由」の方を優先したい。

「数字」を追う日常から離れたいから山に行く

リスクと自由とのバランス

自由が良い、とはいうものの完全に自由すぎると山ではリスクが高い。
ルートや行動時間・非常時に下山する交通機関など事前確認を怠ると場合によっては死ぬこともある。なので山での自由度を高めるためには必ずと言って良いほど事前準備が大切。無鉄砲・無茶と挑戦・冒険は計画性のそこが違う。

登山道すぐそばの木に熊の爪痕が

だからといって何時までにここの山頂に着かなくてはならない、と決める必要はなく、ザックリとこれくらい、と予定するくらいで良い。基本的なルートが定まっていれば後は走りながら上方修正・下方修正していけばなんとでもなる。
この修正も自由がもたらすの恩恵の1つといって良いくらい。
生活も健康も完全自由よりも節度を持った自由の方がうまくいくものです。

日々の生活も山も節度を持った自由を

甲武相国境尾根(笹尾根)縦走

110年前の山を今風に旅をする

前置きが長くなりましたが、11月末に自宅から東京都最高峰の山「雲取山」へ向かう山行をしました。
通ったルートは甲武相国境尾根という高尾山から三頭山を貫くルート。途中浅間峠から三頭山までは笹尾根と呼ばれます。(範囲に関しては諸説あり)

関東近郊、特に東京近郊の山をよく歩かれている方へは割と知られているルートです。一部日本山岳耐久レース(通称:ハセツネCUP)のコースに設定されています。

なぜ、このルートを選んだか。自宅からすぐ取り付くことができるのもありますが1番の理由はこのルートが日本山岳史の中でも最初の縦走登山路と呼ばれているから。
ハイキングを楽しんでいる方なら一度は読んだことがある登山雑誌「山と渓谷」

このタイトルの元を田部重治著の山岳紀行文「山と渓谷」であることは意外と知られていない。
この短編紀行文からなる本書に今回僕が歩いた甲武相国境尾根(笹尾根)の記述があります。記述から著者の田部重治とバディの小暮理太郎がこのルートを歩いたのは1909年、およそ110年前。内容を読み解くとなかなか頭がおかしい。笑

今では考えられないような装備やルート設定、浅川駅(現高尾駅)をスタートしたものの歩いている最中に「どうやらこの道を行くと三頭山行けるっぽいぞ」と思うところとか。目的地すら曖昧で自由。面白すぎる。

同じルートを歩いたり、解説されている本はたくさんあるのでご興味あればどうぞ。

これらの本で言及されてます

この「110年前」「初めての縦走路」という響きと歴史に惹かれたんですね。

国内外の旅もそうですが歴史的背景を知っているか否かでその旅の充実度が大きく変わると感じています。何も前知識無しで行くのもそれはそれで面白いですが、それは「観光」に近くなってしまう可能性が高い。僕は「旅」の方が好きです。

一歩一歩歴史を感じれることが豊かさ

同じルートを「山と渓谷」の紀行通り、数日で歩くのももちろん魅力的ですが、いかんせんそんな時間はない。家族との時間の方が大事ですし仕事もしたい。(仕事割と好きなんで)
そんなわけで「今風」に旅をするということで「トレイルランニング」という手段になりました。

軽量で便利なギアを使うのも今風

落ち葉は暖かい

道中のあれやこれやは正直何もありません(笑)
夜9:30スタートでとにかく真っ暗なトレイルを走ったり歩いたりしていただけなので写真もほぼありません。

本当は東京都最高峰「雲取山」まで行き、石尾根経由で奥多摩駅まで走るおよそ70kmの行程を考えていました。
ですが蓋を開けてみると日付変わってすぐ辺りからとにかく眠い。日中仮眠を取れなかったせいもありとにかく眠い。

その時、同行していた山岳ガイド志望の子が

「落ち葉被れば寝れますよ」

と一言。何言ってんだ、こいつ。
とは言うものの明らかにペースも落ちてきたし、雲取山まで行かずに奥多摩湖へ下山したらバスで駅へ行こうと変更していたので寝てみることに。これまでトレイル上で寝たことは何度かありましたが落ち葉を布団代わりにしたのは今回が初。

風が防げて、平坦で落ち葉があまり濡れていないところを見つけていざ。脚に落ち葉を被せて15分仮眠。

落ち葉を被せて寝る連れ

・・・・暖かい。

ほんとほんのり暖かくて意外と寝れました。なんなら追加で15分寝ました。(流石に起きた時身体が冷えてましたが)

これだけでも十分暖かいことに驚き

距離やスピード、目標を達成することだけに目を向けていたらおそらく経験しなかったことですし、落ち葉が暖かいことも知らなかったはず。
こんな自由な感じが旅感出てとても楽しかった。

自由な山旅をしよう

結果的には目標達成とはいきませんでしたが、中身的には相当楽しかった。
不確定要素を織り交ぜながらその中でどう工夫するか、自由な発想で楽しむことはやはり良いと再確認。距離とか累積標高とか数字がどうでもよくなってくる。

現代社会に蔓延る「数字教」から解脱するためにも自由に(でもリスクヘッジしながら)山を歩き、走り、時にはコーヒーなんか淹れたりして過ごしたいです。

三頭山からの下山で奥多摩湖を望む

今後もより良質な発信をしていくためのサポートをできる範囲でお願いします!