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3時間走り続けて伝えること

初沢3耐とは

3/12(土)に「初沢3耐 ~Trail running, Hiking, Picnic & Cleaning~」という企画を予定しています。

簡単に言ってしまえば、当院から歩いて数分の裏山の中をグルグル走り続けるだけのランニング企画(里山なので普通のランニングシューズでも走れます)です。ついでに今は天気が良いのでピクニックなんかしようかと思います。一駅ずれた高尾山と違って人がほとんど来ないので快適なんですよ。

企画詳細はFacebookのリンクにて。(Instagramは字数制限で省略してます)

やる理由

既にアウトドア企画は「高尾を走ろう」などトレイルランニングをメインに色々と行っています。『高尾オーダーメイドツアー by やま施術院』という完全予約制アウトドアガイドも昨年夏から始めました。

そもそも本業はゴリゴリの整体やスポーツトレーナーです。幼少期にアウトドアに親しんでいたわけでもありません。そんな門外漢で地方都市郊外出身の僕がまさかアウトドアガイドや企画をするなんて!想像もしていなかったです。
別にアウトドアの企画を運営する理由も道理もありません。どっちかっていうと整体院での施術と区画されたグラウンドでスポーツ選手のトレーニング指導をする方が一般的だと思います。

しかし、僕が目標としていることは自分やクライアント含めて信頼してくれる方が「健康で豊かな生活を幸せに送ること」なので競技スポーツだけへのアプローチに振り切る必要がありません。(スポーツトレーナー活動も楽しく行っています)

運動能力の高さや見た目(腹筋が割れているとか痩せているとか)は豊かさのごく一部でしかないと考えています。豊かさを得るための1つのツール、と言っても良いです。

運動能力が高い、他者より秀でていることはそのまま幸せや豊かさに必ずしもつながらるわけではない。

スポーツパフォーマンスの高さ=幸せ、ならダブルツールを達成したマルコ・パンターニはなぜ亡くなったのか、という説明ができません。

豊かさと運動能力は関係ないと考えていますが、豊かさと「運動」には関係が強くあると思います。運動を介して体内で起こるホルモンの分泌や血流量の増加などがその理由です。しかし、それだけではやはり違う。当の本人の意志や行動だけではなく、身近な人間関係や社会全体も強く影響を個々人の健康に影響を及ぼしている、と考えるようになりました。

色々と調べていくと①行き過ぎた資本制(資本主義)や②身体活動の低下、③有意注意力の欠如、④挑戦や創造を妨げるコンテンツの蔓延、それらによる⑤意識・社会の無秩序、などが「健康で豊かな生活を幸せに送ること」を妨げていることがわかってきました。(整体屋の考え方ではありませんね・・・)
もちろん、食生活や人間関係の問題なども含まれます。

また、アウトドアアクティビティへ公私ともに関わることか昨今のアウトドアの流行り具合を見ても社会経済的には良いかもしれないけど健全でも健康的でもないなー、と感じます。(自省含む)一過性のブームであって根付いたカルチャーではない、みたいな。

『悪くないんだけどなんか違うんだよなー、なんか人も社会も狂い始めてるなー』という危機感(あくまで個人的に感じているだけ)を少しでも解消するツールとして初沢3耐をやります。

自分と来てくれる方が少しでも楽しみながら豊かになってくれると良いなー。

ここから僕なりの「豊かさ」や初沢3耐の狙いについて書いていきます。あまりうまく説明できないかも知れませんが読んでいただいて参加してもらえると嬉しいです。

狙い①命のリスクと有意注意力

適度なリスクを自ら負うこと

裏山をグルグル走るだけなのでそんなに難しいことではありません。シューズもトレイルランニング用のものでなくても普通のスニーカーでも走れます。距離も途中すれ違い区間も含めて1周1km。数分に1回は誰かに会うような安心できる環境です。(ちなみにクマさんはいません)

しかし、山に慣れていない方や小さな子どもからしたら登山道を走ること自体がなかなかスリリング。特に下りなんて足首を捻りそうになったり、つまづいて転倒の危険性もあります。その「ちょっと危険」なことが重要。

現代社会で暮らしていると道は全て舗装路。段差は限りなくバリアフリー。普通に過ごしているだけで街中で大怪我することはほぼありません。
安心安全なのは良いことですが、その「ぬるま湯」に浸かり続けた結果、現代人の動物的危機感が弱まっています。一例として歩きスマホ+イヤホン。これは視覚と聴覚情報を遮断しても歩いているということ。自然に考えると交通事故に巻き込まれやすいので身の安全に対しての意識が低い状態ですね。
ちょっと危険な状況に身を置くことが次に述べる「有意注意力」につながります。

有意注意力=集中力

タイトルにある有意注意力とは簡単にいうと「集中力」です。
前提として人間の有意注意力(集中力)には限界、キャパシティがあるとされています。
仮に100の有意注意力があったとしてそれを勉強や仕事に向けると良い結果を得ることができるのはなんとなくイメージできることかと。
歩きスマホもその100の内90ほど使っていればとても良い結果が得られる可能性があります。(といっても大したことのない理由でスマホをいじってることがほとんどだと思いますが)しかし、街中を歩くことに10しか注意を向けられないので正面から自転車が来ても、急に車が飛び出してきても反応が遅くなります。
じゃあ、50をスマホ、50を歩くことに注意を向ければ良いのでは?となりますが、50の注意力で生産的な結果がスマホを使うことで得られると思います?
だったら座って安全が確保できた状態で100の有意注意力をスマホに注いだ方が良いですよね。

結局マルチタスクをこなすことは100ある有意注意力を25×4などと分けることではなく、100を1つの事柄に一点集中させて、別のタスクを切り替えたらまた100注ぐことです。これができないと結果、「集中力がない」と言われてしまいます。

有意注意力を一点集中させること、瞬時に切り替えることが大事

話を戻しますが、トレイルランニングでは不整地を走るので一歩ごとに転倒やケガのリスクがあります。そのため、自分の足の運び一歩一歩に有意注意力の全てを注ぐ必要があります。だって命より大事なものってあまりないですよね。

そのため、この企画のように人がいたり、コースを決めていたりと安全がある程度確保された状態で走ることで有意注意力を高める訓練になるんですね。
これは大人だろうと子どもだろうと誰にとっても同じです。体力の有無は関係ありません。

イベントという安全がある程度確保された状態で自らリスクを背負うことが有意注意力(集中力)の向上=成長、に繋がる。

常にぬるま湯にいたら豊かさからはだんだんと離れていきます。
適度にその人に合った刺激が大事なんですね。

狙い②身体的挑戦とフロー、その効用

目標設定は大切

やることは3時間走り続けることだけ。ルールも何もありません。(もちろん登山マナー等は遵守)
走り慣れている方なら難しくないことですが、普段運動不足の方からすると登山道を3時間歩き続けるのはなかなか大変。それでいいんです。大事なのは順位や速さではなく、自分自身が設定した目標を達成するかどうか。それが大事。

走ることができる方なら3時間で10周(およそ10km)を目標としても良いですし、普段歩き慣れてない方ならゆっくり3周だけでも良い。小さなお子さんと一緒に2周走るのも良いですね。ポイントは「簡単すぎず、難しすぎない目標設定」です。
例えば、僕が3時間で5周という目標を立てたらそれは簡単すぎる。おそらく1時間以内で終わります。簡単すぎる目標は狙い①でも述べた有意注意力の向上に影響を及ぼしません。また、5周だけして「終わったー!ビール飲もう!」というのは挑戦でもなんでもなく、ただの一時の快楽を得るだけ。

快楽は一時的なものでそれ自体が豊かさを増長させるものではなくて不安や疲労、ストレスといったマイナス状態をプラマイゼロに戻すもの。なので快楽だけを追求すると成長は見込めません。その場では満足するけど長続きしない。アルコールやドラッグと同じです。もちろん、5周走ることによる健康的効果はありますがただそれだけ。それだったらわざわざイベントだてしてやるほどのことじゃありません。

求めているのは快楽ではなく、挑戦に伴う「楽しさ」そして「フロー」です。

本当の楽しさとフロー体験

じゃあ、楽しさってなんなのさ?ということになりますがこんな表現がなされています。

・楽しさは、この前向きな感覚、つまり新規な感覚、達成感覚によって特徴づけられる。・・・(中略)実際行っている時にはとくに快いというものではないが、後でそれを顧みて「実に面白かった」と言い、それがもう一度起こることを望む。楽しいことの後では、我々は自分が変わった、自己が成長した、その結果ある面で自分は以前より複雑になったことを知るのである。
・楽しさは通常にはない注意の投射の結果としてのみ生じる。
・注意が十分その活動に集中されていない限り不可能
・新しく、挑戦的な要素を含む目標への心理的エネルギーの投射を必要とする

フロー体験 喜びの現象学 M.チクセントミハイ

つまり、ちょい難しいお題を集中して行い、クリアすることが「楽しさ」ということ。これは何も常に新しいスポーツや行動をすることだけではなくて、読書1つとっても楽しめます。集中して本を読むことは有意注意力を使いますし、内容を理解するためには書かれている言葉の意味を理解しようとする頭の体操とも言えます。
読書は他者から見たらじっとしているだけで身体性を伴わないように見えますが当の本人は相当楽しいと感じているはずです。(僕はそう感じてます。読書、楽しいですよ)

そして、フローとはスポーツの世界で言われる「ゾーン」と同じもの。
日々の生活で置き換えると楽しくて「あっ」という間に時間が過ぎちゃう感覚です。その物事への有意注意力を注いだ結果時間の概念が崩れて、1時間が一瞬に感じられることや自分のカラダが自分じゃないくらいスムーズに動く、スローに感じるなどで結果スポーツのパフォーマンスが高くなることです。王貞治のピッチャーが投げたボールの縫い目が見えた、というのもフロー体験です。

このフローに入るためには先に述べた「楽しさ」が大切。適度な挑戦と集中です。

楽しさとフローと成長には適度な挑戦と集中が必要不可欠

シンプルに走り続けることがフローへの入り口

読書で楽しみを見つけてフローに入れることはありますがなかなか有意注意力が散漫になりがちな現代人や子どもには難しいことが多い。
なので「とにかく走る」というシンプルな身体運動を繰り返すことが最初はおすすめです。走る、歩く、足を止めない、転ばないように足元を見る、などシンプルですが集中しなくてはなりません。疲れても動き続ける。疲れた時や窮地に追い込まれた時こそ人は本性が出てきますが、その状況まで追い込むことでフローに入ることができます。

そして、そのフローの経験後は成長を実感できるし、楽しかったと言える。それが日々の生活の豊かさに繋がるわけです。

フローの経験値(楽しい体験)が日々の豊かさの尺度となりうる

また、挑戦と創造は似ている点もあります。新しいことを始めることは当の本人からしたら創造的行為にも当てはまります。走ることでもやったことのない方からしたらどう走ると気持ち良いのか、ひざを痛めなくて済むのかなどクリエイティブな部分もあるとも言えます。(ややこじつけ)
そして、創造による結果から楽しさ→フローとなります。

フローを妨げるコンテンツから離れる

集中して走っている時はスマホはいじれませんよね。そう、いじらなくていいんです。有意注意力を削るわかりやすいものがSNS。タイムラインを見続けたらあっという間に1時間。この1時間は確かにSNSにのみ有意注意が向いていますがその結果何か得られるものはありますか?
ほとんどの場合は何もないかと思います。なぜなら「挑戦」的な部分が抜け落ちているから。もし、タイムラインの投稿を1分で100件読む、という目標を掲げてみるならまだマシですね。そんな見方してる人いないと思いますけど。

SNS以外にもフローを妨げる障害は日常にたくさんありますが、身体運動を行うと強制的に離れることがしやすいのでオススメです。
なので初沢3耐を行うのです。(読書3耐でも良いですが、スマホがすぐに使えてしまう状況を集中力で乗り切るのは中級者向け)

強制的に1つの物事に集中せざるを得ない状況を作り出す

狙い③過度な資本主義からのゆるやかな脱却

何でもかんでも商売にするから問題が起こる

現代社会で生きている以上資本主義や貨幣経済とは離れることはできません。もちろん離れることはできるとは思いますが離れることによる不都合が多すぎるし、それで生きられるほど僕は心身ともに強くありません。
資本主義社会で生きるしかないわけですが、その価値観にどっぷりと浸かりすぎると色々と問題が起きてくる。

その1つが全ての事象に値段がつけられてしまうこと。
例えば、僕がやっているグループトレイルランニングイベント。今では1,000〜3,000円/人程度、参加費をいただいていますが元々は無料でした。
当初無料で始めた理由の1つは色んな方に色んなトレイルを知ってもらって人が一箇所に密集しないようにすることでした。分け隔てなく楽しんで欲しい気持ちだけで週1回ペースで開催していましたが、心無いクレーマー(懐かしい自粛警察)により僕の心が折れてしまい一時期お休みしていました。そもそも無料で参加しといて文句言うって最悪ですよね。

そもそも走ることは人間にとって基本機能なわけで貨幣とは関係ないわけですよ。貨幣という概念が存在する前から人間は走っていたわけですから。それを今では企画や案内といったサービスの提供の対価として参加費を募っているわけです。
正直参加費なんてたかが知れているのでなくても良いんですが無料にすると「安いから」「無料だから」という理由だけでくる質の悪い人が増えてしまうんです。(あまり言いたくはないですが)

そのため、仕方なく適度な「料金」を設定して今に至るわけです。
料金を設定することで企画の質をある程度維持するという苦肉の策です。

このパターンはあまり多くはありませんが、逆のことは多々あります。それが転売ヤー。欲しい人に値段をふっかけて売るやつですね。資本主義社会では何の問題もありませんがモヤモヤしますよね。それは「品格」が損なわれるから。
ただの貨幣の増殖手段でしかない。そしてそのようにして貨幣という富を得る人間が偉いとされる社会。さて、これは健全なのか?
Youtubeは全く見ませんが迷惑系、と称される方々も視聴数が増えれば収益が上がるので炎上上等。人への迷惑はお構いなし。さて、これは健全か?

不健全だろうが何だろうが金を稼いだ方が偉い、という何とも単純で軽薄な社会が臨界点を超えた時、何が起こるか?

戦争です。大問題ですね。

資本主義の行く末は一部の人間だけが得をする戦争

”Give & Give” でどこまでやれるか?

画期的な発明や面白いアイデア、企画は最初は全て「収益」のフィルターを通るわけではない。銭勘定を最初に考えるとアイデアや発明の幅が狭まるので限定的になる。

『(損得抜きで)それ、面白そうだよね!やってみよう!』

この気持ちを持つ人間が無償で動くことで良い物事のサイクルというのは始まると考えています。”Give & Give” の精神ですね。
貨幣を介さなくても豊かさはある程度得られるのはこれまでの人生で実感としてあります。それをこの初沢3耐を通じて実現できるかどうか?感じてもらえるかどうか?が実験的な部分です。
言い出しっぺは僕ですが、今後は参加者が自分で面白く作り上げていってもらい企画が自動運転モードで続いていくと良いな、と思っています。

と、格好いいこと言ってますが実際問題そこまで経済的に豊かではないです。(30代男性の平均年収を大幅に下回ってますよ、幸せですけど)
なので最初は寄付制という形で参加費をとってそこから運営に関わる道具などを購入していこうと思います。ポケットマネーにはしません。

そして、これでも「無料だから」と資本主義的価値観だけを持ち込んで参加して文句ばかり言う輩が増えすぎたらどこかで辞めると思います。
一度ならず二度までも同じ経験したら流石の僕でも人間不信になります。
ゴリゴリ高額の排他的な企画しかやらなくなったらそういう経緯だと思ってください(笑)

裏原的アウトドア業界から一歩離れたい

これは完全に僕個人の価値観ですがアウトドア(特にガレージブランド)業界の裏原化が気持ち悪いです(笑)さして山に行かないのにガレージブランドの山道具だけは大量に持ってる人とか。なんかもうそうゆうのから離れたいんですね。レアで高額なギアの話ばかりしてても面白くありませんし。

そんなことよりもアウトドアのフィールドにいる時間を増やしたい。そのために必要なら道具を買う。それだけ。正直トレイルランニングはただのスポーツなんで特別技術も知識も入りませんから誰でもできます。なので初沢3耐は参加しやすい。参加してね(笑)

まとめ

初沢3耐を通じて

  1. 自己責任と挑戦の重要性を伝える

  2. 1.を通じて大人も子どもも成長する

  3. 「楽しい」の本質を体感してもらう

  4. でも最初は雰囲気を楽しむだけでもOKな敷居の低さは維持

  5. 参加者みんなが利他的になれること

  6. 結果、健康で豊かな日常につながること

ができればいいなと思います。

参考文献

このnoteを書くにあたり参考にした書籍一部です。武道から哲学、経済学などざっくばらんですが全て「人々が正しく気持ちよく生きるためにはどうする?」について前向きに書かれています。
人も世界も病み続けているこの世の中ですが諦めずにできることから行動に移していこうと思います。

どれも面白いので興味があれば読んでみてくださいね。

  • 武道の心理学入門 武道教育と無意識の世界 小沢隆

  • フロー体験 喜びの現象学 M.チクセントミハイ

  • 武器としての「資本論」 白井聡

  • 下流思考 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹

  • それをお金で買いますか マイケル・サンデル

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