雑誌を作っていたころ080
雑誌作りが始まる予感
アスキーのムックを3冊作ったところで、その方面のムックを作る仕事は終わってしまった。「あわよくば季刊誌から月刊誌へ」と編集部では期待していたようだが、そこまで売上が伸びなかったようだ。
ぼくはその後も引き続き、「インターネットでお店やろうよ」のお手伝いで取材に出かけては原稿を書いていた。だがそれは雑誌作りの醍醐味からやや外れた仕事だった。単行本の仕事の一部分をやっているようなものだ。
そして仕事のメインは、単行本の原稿執筆になっていた。毎月平均2冊程度の仕事が出版各社から依頼され、取材に出かけたり、徹夜で原稿を書いたりして日々の予定をこなしていた。
ある日、2冊同時〆切という不幸な進行の仕事を片付けていた。Aの仕事を60%、単行本Bの仕事を70%という感じで〆切に近づいていた。ぼくの場合、どちらか片方を仕上げてからもう片方にかかるというやり方はしない。まるで雑誌の材料集めのように、同時進行でゴールに向かうやり方が好きなのだ。
そして、自分も編集者だったから、担当の編集者には進捗状況をこまめに知らせる。完成するまで音なしだと、不安になるからだ。その日も、それぞれの編集者に状況をメール送信したが、返事はどちらも同じだった。
「引き続きよろしくお願いします」
それを見て思ったのは、「もうちょっとやる気の出るような言葉を書けないものか」ということだった。
そして、突然思い出したのが、雑誌の編集者だったころの光景だ。ぼくが編集部に居残りで一人で原稿を書いていたとき、FAXに原稿が届いた。ぼくのよく知っている筆者の原稿だったが、別の担当者宛てだった。今はその筆者の連載担当は、ぼくではないのだ。
ちょっとした予感が働いたので、その原稿をさっと斜め読みして、ページの脱落がないか、読めない箇所はないかをチェックした。その直後に、筆者から電話がかかってきた。
「どうも先生、ごぶさたしております。山崎です。あいにく担当の○○は不在ですが、代わりに拝見させていただいたところ、ページは全部揃っているようです。かすれている箇所も見あたりませんでした。お疲れさまでした」
「やあ久しぶり。それなら安心だ。ところで、読んだ?」
「はい。僭越ですが読ませていただきました。二番目の話の着眼点が面白いと思います。導入部もスムーズでいいかと思いました。ただ、四番目の話はもう少し具体例があるとわかりやすいかもしれません。これは担当者の意見を聞いてみてからお伝えすべきことなのでしょうが、あくまで私個人の感想です」
「わかった。では今晩中にその例を探しておくよ。○○さんによろしく」
昔気質の筆者は、原稿が相手の手に渡るやいなや感想を求める。それを知っていたので、事なきを得たのだった。それにひきかえ……というのはよそう。時代が違うのだ。感性が異なるのだ。愚痴は言うまい。
そういえば昨日の夢は、「ドリブ」の編集部だった。見たことのないオフィスで、亡くなった葛西さんが編集長だった。これは近いうちに雑誌作りが始まるという予感なのかもしれない。「そうなるといいな」と何となく思った。
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