そのようにホストになったものの、今ひとつ身が入らず、お客である女性たちへの接客もどことなく積極的的でなく、ご贔屓を増やすこともできずに、いろいな面で停滞していました。 そんなときМさんが私に言いました。 「ヤマさんさー(Мさんは私のことを「ヤマさん」と呼んでいました)、経験数、何人?」 「えっ、2人です」 私の私は、学部生時代に付き合った女性と、先にあげた結婚まで考えた彼女の二人が性的関係を持った女性のすべてでした。 「だからだよーなー」 「はあ?」 「もっと
そういう言うことで、私は東京の有数の繁華街のホストクラブでホスト見習いとして働くことになりました。 私は入店した経緯が特殊だったこともあり、いい意味でも悪い意味でも、目をかけられました。 (当時のホストクラブの内情についてはそれだけで本が一冊かけてしまうほどの面白いエピソードがたくさんありますが、ここでは割愛させていただきます)。 もう毎日が逃げ出したいほどの嫌なことの連続でしたが、借金を返さなければならないので我慢するしかありませんでした。 暴力や精神的な虐待も
そんな中、父方の祖父が亡くなり、遺言により300万ほどの遺産をいたただくことなりました。 祖父は私が大学の教員になることをこと強く期待していて、その期待を込めたものだったと思います。 自分は本当は挫折しかけているのに、そんな僕にそんなお金を託してくれる祖父には情けない気持ちでいっぱいでした。 しかしながら、当時私は結婚を前提として付き合っていた女性がいて、彼女との結婚生活に踏み切るためには、かなり手助けになるお金だと思い、うれしく思ったものでした。 実際には人並
私はとある地方都市出身です。地元のそこそこの進学高校を卒業して、東京都立大学人文学部に入学。 その後、同大学院に進み、研究職を目指していました。東大以外の大学出て、大学の教員になれるのかって? 以外となれます。 もちろん東大出身の研究者がどの分野でも多いかもしれませんが、その占有率はそれほどでもありません。 つまり私は20代の後半までは真面目に研究に打ち込んでおりました。どっぷりアカデミズムの世界に浸かっていました。 自分が選んだ道だし、好きなことだったので、身分