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半径10Mから対話的で創造的な世界を手作りしていく方法

こんにちは、山崎梨紗です。

なかなか自由にも動けないGWですが、いかがお過ごしですか?

私は最近できた仲間たちと一緒に勉強をしているところです。


居場所があるって本当にありがたいなぁと、最近しみじみと思っています。
(そうなんです、今日はそんな話です。)

人生は仲間探しの旅なんじゃないかな。

突然ですが、私はコミュニティというものをとても大事に思っています。

どっちかというとサードプレイス的な意味で言っていることが多いんですけど

自分の居場所がどこか1つではなくて
2つ、3つと所属することが私の人生では不可欠になっています。

なんか・・・それがないと心が死んじゃう気がする。

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人生における苦悩は大体、
「過去への執着」と「未来への不安」に大別できると言われますが

そのどちらも一人で抱え込むのは無理だし

いつも決まった相手とだけクローズドに抱え込むのも無理だし

何層かのレイヤーに分かれた、
いろんなバックグラウンドに属した、

コミュニティを軸とする対話相手の存在が不可欠だと思って生きているんですよね。

答えなんて簡単には出ないけど、
それでも難しい問いに対して一緒に立ち向かえる人たちがいれば、生きていける気がする。

仕事してるのもそのためだし
誰かと仲良くなるのもそのためだし
私にとっての人生は、対話相手(仲間と言ってもいいかも)を探す旅なのかもしれない。

いきなり何の話?笑

すみません、ちゃんと落とし所はあるのでもう少し続けさせてくださいね。

その一方で集団の嫌な面が見えすぎる件について

で、コミュニティ、大好きなんですけどね!

その一方で私は集団というものがすごく苦手なんです。

商店街、商工会、地域活動のグループなどなど
大体において、参加してしばらくすると辞めてきました(だいぶごめんなさい)

なんでかというと、たぶん、グループダイナミクスが見えすぎちゃうから辛いんです。

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人が集団をつくると、その集団の中にはある種の力学が発生しますよね。

・場をコントロールしようとする人
・水面下で結論を誘導しようとする人
・仲間(票)を集めようとする人
・様子見をして、雰囲気に従う人


いろんな人の思惑が重なり、
意思決定(集団の方向性)がフラットなものにならないことが多くあります。


で、その意思決定方法の歪みに気づけず放置すると

その集団がだんだんと居心地が悪いものになっていったりして。


(※以上は山崎のアバウト解説ですので、くわしく知りたい人はグループダイナミクスの本がおすすめ!)


そんな風に集団に属することが苦手だった私に、

その場を心地よくするにはどうしたらいいかを教えてくれたのが、hoahoaです。

否定しない、の一歩先へ。


hoahoaの前身団体の頃から
この場だけはすごく居心地がよくて、嫌な気がしなくて

なんでだろう?と最近色々と振り返っていたのですが、

同じく昔を知るhoahoaメンバーと話したこともあり

「この場が他人を否定せず個人を尊重してくれて、創造的な対話を行う場だからかも。」

という一旦の結論に達しました。

hoahoaがそういう場なのは、
そういう場になるように参加メンバーが意識的に働きかけているからです。

自分と相手との間に違いが顕在化したとき、
「他人を否定せず、個人を尊重してくれて」
だけだったら、きっとつまんないんですよね。

“あなたはそう、私はこう、別にそれでいいじゃない”
という態度は一見寛容的に見えますが

その後の両者の交わる可能性を否定してしまっているという意味で、個人的にはちょっと物足りないように感じるんです。

でも、hoahoaはそこで終わらせず


「他人を否定せず、個人を尊重してくれて
『その上で建設的な未来を模索する』」


というところまでちゃんとやり切ることで
「創造的な対話を行う場」になっているように思います。


私たちhoahoaは前身団体の頃から数えると7年程、

ADRトレーニングという、対話促進のためのコミュニケーショントレーニングを主催してきました。

そこで講座を企画したり講師を運営したりして、

受講生の方々と一緒に自分たちも絶え間なく変化、成長しつづけるうちに

日常的に、対話的な態度が深く身についてしまったんだろうなーと感じています。

hoahoaのミッションと、Notリーダータイプの使命


『対話によって自己と他者の理解を深める文化を醸成する』
そのために、一人ひとりが対話の種を蒔く。

というのがhoahoaのミッションであり

「対話の種を蒔ける人をたくさん育てて
みんながそれぞれの現場に帰った時、
その現場を少しでも生きやすい場にしてほしい」

というのがhoahoaの願いでもあります。

その現場が、家庭でも仕事でも友人間でも活動団体でも。
どんなコミュニティであっても。

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このように書くと

hoahoaメンバーはどこの場にいても、その場のリーダーであったりファシリったり調停したりしているように思われるかもしれませんが、

そんなことはないんですよ。

むしろそのコミュニティのいち参加者として、みんなにははっきりと分からない方法でその場に働きかける(介入する)

縁の下の力持ちタイプが多いように感じます。

もちろんリーダーやファシリテーターとして場を主宰することは貢献度の高い、素晴らしくやりがいのあることですし

そのためのスキルトレーニングやマインドの持ち方もたくさん学んで身につけてきたので、もちろんお伝えすることができます。


でも今、コミュニケーショントレーニングを長年続けてみて思うことは

場に対して働きかける仕事は
必ずしもその場のリーダーの仕事でなくてもいいかな・・

ということなんです。


その場のイチ参加者であってもできることはたくさんありまして。

声の小さな人、自信のなさそうな人の声を拾う拡声器になってあげたり

いつもと違う様子の人、居心地が悪そうにしている人の非言語に気づいて働きかけたり

その場の「対話の素地を整える」ことができる人、
そして「対話の素地を整える文化」を、

hoahoaの事業を通じて
増やしたり広めたりいけたらいいなと思っています。

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生きにくい、居心地が悪い居場所なら

自らの手で居心地の良い居場所に変えていけばいい。


よかったらあなたもぜひ仲間になってくれませんか?^^

自分の半径10Mから
対話的で創造的な世界を手作りしていく仲間を、hoahoaではいつでも募集しています。

もしhoahoaの活動に興味を持ってくださったら、ひとまずhoahoaメルマガに登録してみてくださいね.

(こんな感じの私のコミュニティ運営に関する話が、毎週金曜日に届きます。笑)



おそらく
このブログを読んでくださってるあなたは何らかのコミュニティに属してるんじゃないかな?と思ってて。


hoahoaではこれから、あなたのいるコミュニティを

少しずつでも確実に
呼吸しやすく、活発で、楽しい場、
そして対話的な場にする方法を伝えていきますね。

そういう小さな場が積み重なることで
少しずつ影響が広がって、社会をいいものにしていけると信じてるから。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではでは、いつかあなたにお会いできることを楽しみにしています。

hoahoa A代表 山崎 梨紗

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