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のむ贅沢。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(8)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第8回のメモ。前回から「余裕と通常」の章。このうち、前回が「たべる」にかかわる節。今回は「のむ(飲む / 喫む)」にかかわる節である。タイトルとしては「飲み物と《興奮剤》」。このあたり、どちらかというと水に恵まれてきた日本との間隔の違いが窺われるようにも思う。

どうでもいいことだが、狂言では「酒をたべる」という表現がしばしば出てくる。たべるというのは、飲む、食うの謙譲表現であるらしい。

摘 読。

ブローデルは、まず飲み水についての歴史から辿りはじめる。たしかに、人間の生活にとって水は欠かせない。ヴェネツィアやオランダの諸都市をはじめとして、飲み水には苦労していた。15世紀になって、パリなどで水道が引かれるようになった。当然、「水を運ぶ」という営みも商売の一つであった。水は重要であるがゆえに、そこに収益が生まれもした。

ブローデルは書いていないが、日本はこの点で世界に先駆けていたとはいってよさそうだ。多くの土地では井戸を掘れば、地下からの水を得ることができた。それが難しかった地域、とりわけ江戸や赤穂などで上水道が整備されたのもわかりやすい。江戸の場合は、人口増加への対応ということがあったことももちろん考慮しなければなるまい。

むしろ、ヨーロッパを考えるうえでより大きな位置を占めているのはぶどう酒である。葡萄そのものは、地中海諸国のものであり、寒冷になると育たなくなる。にもかかわらず、クリミア半島やグルジア(ジョージア)、ザカフカズまで伸びていった。さらに、ヨーロッパ人の進出によって、メキシコやペルー、チリ、そしてアルゼンチンで葡萄が栽培されるようになっていった。ただ、そのなかでも北大西洋上に位置するマデイラ諸島(特に、マデイラ島)やアゾレス諸島、そしてカナリア諸島など、マカロネシアと呼ばれる地域で生産された葡萄と、そこから生まれたぶどう酒は各地に輸出された。

さて、ヨーロッパに話を戻すと、もともとのぶどう酒の生産地では生産する農民と地酒に慣れた消費者がいた。それに対して、生産地ではなかったところにはアルコール含有度の高いぶどう酒を好む消費者がいた。この北方の人たちは、しばしば酒樽の周りで酔っ払い、高鼾をかいていた。このような飲み方から生まれる大量消費が、南方のぶどう酒の大規模流通の決定的要因となった。新醸造のぶどう酒は流通する先々で期待され、歓迎されながら運ばれていった。ただ、ぶどう酒は保存が利かないので、年ごとに酸っぱくなっていった。それゆえに、18世紀までは銘酒が知られるというより、消費地に隣接するがゆえに知られていた。今のような銘柄が確定するようになったのは、18世紀になってからのことであった。

そしてまた、これだけ普及したぶどう酒は、多くの人々を酩酊させた。時の、そして所の政庁は税をもってこれを取り締まったが、人々の酩酊を抑えることができたわけではなかった。高価な小麦の代わりのカロリー源ともなった。ただ、やはり実際には、ぶどう酒が人々を現実から逃避させる、憂さ晴らしの手段であったことはまちがいないのである。

同じように、ヨーロッパで広くのまれたのがビールである。ビールそれ自体は古代バビロニアや古代エジプト、古代中国など、きわめて古くから見られる。ヨーロッパにおいては、ぶどう畑の領域外にビールは腰を落ち着けた。北方諸国を中心に広まったビールだが、南方のぶどう酒の地域にも版図を拡げていった。とりわけ、経済状態が芳しくないときにはビールが広くのまれた。ただ、単に景気が悪いときにのまれただけではない。ホップを使用したビールのなかには評判を得るものも出てきた。それらは外貨の獲得にもつながった。こうして、世界中に「ビール腹」が出っ張った。

りんご酒についても言及はあるが、これについては置いておこう。

12世紀になって、アルコールの蒸溜という技術が見いだされた。この蒸溜によって抽出された酒精、ブランデーは長らく薬として使われ続けた。それが16世紀になって世俗化が始まり、17世紀の進展を経て、18世紀に普及していった。フランスのコルマールでは1506年の段階ですでにぶどう酒蒸溜業者とブランデー商人を当局の監督下に置いている。そのほかに地域でも蒸溜業は生まれていたようだが、それがヨーロッパの大西洋沿岸で一般化したのは17世紀になってからのことである。需要の増大、そしてぶどう酒よりも輸送上の問題が生じなかったこと、こういった理由からヨーロッパの内陸部でも蒸溜は盛んになり、生産量は急増した。その結果、価格はそれまでに比べて下落した。17世紀のことである。そして、安定した蒸溜技術の開発は、19世紀における蒸溜酒の大規模な普及をもたらした。蒸溜は、ブランデーにとどまらず、ラム酒、カルヴァドス、キルシュ酒、ウォッカなど、さまざまな酒をヨーロッパに産み出した。これらは、ヨーロッパの人々の日々の刺激剤、安上がりのカロリー源、そして近づきやすくて効果の激烈な贅沢品となった。同時に、国家はそれに対して網を張って待ち構え、そこから利益を得るようになった。

他の地域、たとえばペルシャや中国、そして日本においても醸造・蒸溜のいずれにおいても酒造りがおこなわれていた。一方、アメリカ大陸では、ヨーロッパからもたらされた蒸溜酒によって散々な目にもあった。まさに、〈新しい欲求〉をめざめさせることで、それを充たすために、メキシコにもともと住む人々をしてヨーロッパ人に従属せしめるような政策が採られたわけである。

ここまでは、まさに飲む贅沢としてのアルコールであった。ブローデルは、これに加えて「喫む」贅沢品についても触れている。チョコレート、茶、コーヒー、そして煙草である。

チョコレートがメキシコからヨーロッパに入ってきたのは16世紀前半のことである。これまた食品というよりは、薬とみなされていた。ただ、それも早くから浸透したというわけでもない。18世紀の頃のようである。

茶が中国からヨーロッパに入ってきたのは、17世紀の頃であるようだが、それが浸透するまではやはりそれなりの時間を要した。17世紀の後半ごろからイギリスにも入るようになったが、1720~30年代になってようやく消費が顕著となった。18世紀の半ばを過ぎるとかなりの量がヨーロッパにもたらされるようになった。ただ、留意しておかねばならないのは、その消費はほとんどがオランダとイギリスに限られていた点である。ブローデルは、中国そして日本での茶の浸透にも言及しているが、この摘読では省略していいだろう(こと、日本の茶の湯に関しては、大方の人が知っているであろう内容だからである)。

コーヒーがヴェネツィアにやってきたのは1615年ごろのことである。それがヨーロッパにおいて広まったのは、1669年にトルコの使節が訪ねてきたパリ人士にコーヒーをふるまったことによるものであるらしい。これによってパリではアルメニア人がコーヒーを提供する店を開き、それは徐々に増えていった。その後、シチリア生まれのコルテㇽリによって開かれた〈プロコープ〉の前にコメディ=フランセーズができたことで、さまざまな人々がそこに集まるようになった。次第にカフェが増え、酒場にとって代わるようになる。この隆盛は、当然ながら経済の流れを動かす一つとなっていく。ヨーロッパ周辺の各地でコーヒー生産が増えていった。

ブローデルは、これに関して、植民地のことにあまり触れていないが、念頭には置いておくべきであろう。近年のフェアトレードをめぐって、コーヒーとチョコレートがとりわけ注目されていることからも、その点は容易に推測できよう。

もう一つの「喫みもの」が煙草である。コロンブスは1492年にキューバで煙草に出会ったが、1558年にはスペインで栽培が始まっている。もともとが確立された文明に裏打ちされたものではなかっただけに、かえって流行も急速であった。16世紀後半には日本にも、東南アジアにも17世紀初頭には伝わっていた。当初は「嗅ぐ」「喫む」「噛む」というのが楽しみ方であった。いわゆるシガレットは18世紀初頭に〈新世界〉で生まれた。同時に、この煙草、急速な普及と同時に各国政府の猛烈な禁止をももたらした。かといって、煙草を吸う / 喫む人がいなくなったわけではない。むしろ、庶民を含めて嗜まれる品であり続けた(し、今もまだそうである)。

私 見。

ハンガリー出身の経済学者、コルナイ・ヤーノシュは資本主義の特徴を余剰経済、あるいは余剰の再生産という点に見ている。

コルナイの注目する余剰は量的な側面が強い。それゆえ、そのまま、たとえばラグジュアリーの議論に導入しても噛み合わないだろう。ただ、ゾンバルトもヴェブレンも注目したように、価値の流れとしての経済(Wirtschaft / wirtschaften)を見ていく際には、こういった日常の生活そのものには喫緊ではない品、まさに質的な余剰がもたらす流れの変容を捉えていく必要があろう。そして、それはただちに経済現象としてあらわれるというよりは、生活やそこにおける判断基準の変容、つまり文化の質的展開を基礎として、価値の流れの変容につながるとみるべきだろう。さらにそれが進んで、文明そのものに摂り込まれて、文明の変質をももたらしうるというところこそ、ブローデルの視点が活きてくる点ではないかと思う。

その点で、余剰を許さない社会というものに、将来的な可能性があるのか、「あれは無駄だ」「これは役に立たない」などと弊履のごとくに捨て去っていくような社会にイノベーションなど起きるのか、そう問うてみてもいいかもしれない。

他にも、何か書き留めておこうと思った気もするが忘れた(笑)

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