価値創造の実装原理としてのサービスデザイン。Xデザイン学校大阪分校第10回:オズの魔法使いと成果発表
2019年度のXデザイン学校大阪分校ベーシックコースもいよいよ最終回。最終回は成果発表なので講義は特にありませんでしたが、報告する際に気をつけるべきポイントは、ある意味でこれまでの学びをちゃんと「(何も知らない)他者に伝える」うえで踏まえておくべき点で、これも学びの一つ。
今回は、Bチームの成果発表の振り返りと、この一年での自分なりの学びを書き記しておきたいと思います。
ゲームチェンジを考える難しさと楽しさ。
今期のクライアントさんのお題は〈適温サービスで、クライアント企業がゲームチェンジできる提案を〉というものでした。私たちBチームは、そのクライアント企業さんが今までメインに展開してこられた〈家庭〉と〈食〉をいったん離れて、かつクライアント企業さんがもつアセットを活かせるというところで考え続けてきました。
このnoteにも何度も書いてきましたが、わかったような気になりつつまったくわかってなかった最初の頃の〈ビジネスインタビュー〉や〈グループインタビュー〉からの〈デプスインタビュー〉での躓きが、あとからどすーんどすーんと響いてきました。研究者やったら、そこが大事なことくらいわかってるやろっていうツッコミもあるかもですが、研究の際はどちらかといえば客観視が大事。ただ、アプローチとして、可能な限り実践主体の視座や姿勢に即して内在的な理解をめざす、というのもあります。私は、どちらかというとそれに近い立ち位置にいるので、余計に「あー、こういうことか」という実感は深く、重かったです。
ただ、チームとしてそのあたりをLINEミーティングも含めて、何度かリバイズを重ねてきたので、十全とはもちろんまったく言えないですが、ひとまず自分たちの価値提案それ自体に対して、それなりの確信を持って伝えようとすることはできたかなと思います。
とはいえ、先に述べたあたりの弱さが、結局のところ「クライアント企業さんのアセット(特に負のアセット)を活かして」というポイントから乖離してしまって、「これ、ウチでやることかなぁ」という印象になってしまったのも確かで。
ゲームチェンジって、難しい。でも、おもしろい。少なくとも、個人的にはこれまでわかって気になって、今一つしっくりこなかった〈ダイナミック・ケイパビリティ(DC)〉の議論の実践的側面や、その意義はだいぶクリアになりました。「DC大事!」って言うてるだけでは、何も言うてないのと同じやな、と。
何度も検証(験証)することで、濃く深くしていく。
本来やってみるべき〈実地のユーザーテスト〉の段階には、ほとんど足を踏み入れていないというのも、反省点ではあります。特に、実際に提案するサービスを実装化した状態でテストするとなると、もっと時間を注ぎ込む必要があるなって思います。
とはいえ。これまでのプロセス(特に、前回の予行演習的アクティングアウト)で、提案する価値の焦点が、いくらかなりとも絞り込まれたのは大きかったです。
プロトタイピングって、もちろん言葉は知ってました。ただ、それがどう大事になってくるのか、身体感覚でわかっていたわけではなかったのです。今回、Xデザイン学校での学びで、この点が体感できたのも、私にとっては重要な学びでした。同時に、それって批判的合理主義で重視する験証ともすごく近いなって。命題を提示して、それを経験的にテストすることで「実証」するというよりも「どこまで、その命題はその現象を説明できるのか」を絞り込んでいくというのが、験証であると私は理解してます。となると、プロトタイピングを何度も重ねていくというのは、まさに験証プロセスと重なり合います。
その際には、自分たちがどんな価値を提案していくのかということが明確になってないと、うまくいきません。思い返せば、チームでのミーティングで、けっこうな頻度で言葉を交わしあっていたのは、この自分たちが提案しようとするサービスは、ユーザーにいったいどういう価値をもたらそうとするものなのかっていう点だった気がしています。そこを何度も塗り重ねては磨き、また塗り重ねて磨くという、スパイラルなプロセスだったなと。
直線的な学びから、螺旋的(スパイラル)な学びへ。
いちおう〈教育〉(←この言葉、ほんまにどうも上から目線的で好きではないですが、社会通念にしたがって使っときますw)に携わってる私にとって、今回のXデザイン学校での学びから得られた直近的最大の意義は、この点でした。
大学も含めて、多くの〈学び〉のしくみは直線的です。そういった直線的な学びが不要だとは思いません。しかし、これはかえって効率が悪い(近視眼的に見れば、直線的な学びのほうが効率がよさそうに映りますが)。なぜなら、スパイラルな学びは、定期的にふりかえって自分にとっての定着度を確かめることができるしくみになっているからです。
自分が一年間学んだから推しまくるわけではないですが、Xデザイン学校の最大の強さって、このスパイラルな学びを自然と経ることができる点だと思っています。思っています、というか、ほぼ確信しています。これ、そうそう簡単に構築できるもんではないです。
世の中にはいろんなセミナーがあって、それぞれに学べるところはあると思います。けれども、全10回構成でスパイラルに学んでいける、だからこそ「あー!ここをこうしとけば、もっと深く(あるいは濃く / 広くetc.)考えられたのに!」とか、「あー、何かここのあたりで引っかかってるんやけど、なんかこうモヤモヤする」とかって感じたら、そこで巻き戻してみて、いくらかは再思索・再探究ができるんじゃないか、と。これが直線的な学びだと、「あー、あそこがあかんかったね。でも、ここまで来たら、もう戻れない」みたいな、学びとしてはあまりよろしくない状態に陥る危険性が、きわめて高いわけです。
だからこそ、私自身もXデザイン学校で、あらためて学びたいとも深く感じますし、同時にこの学びのスタイルを学生たちに伝えていかないとって強く感じています。
チームとは。
今回、ご縁があってBチームで活動させてもらいました。みなさんお忙しいなかで、細切れの時間を見つけつつLINEやGoogle Drive、さらにはTiroなどを使って思索や議論、さまざまな準備を進めていくことができたなって感じています。
ついつい放置しがちな私たちに、ちゃんとスケジューリングして全体を導いてくれた酒井さん、かたちを仕上げることにこだわりつつ、その意味を探究しようとしてくれた木倉谷さん、同じくプロダクト・デザイナーとして、実現できるカタチの可能性をラピッドに追究してくれた長嶺さん、グラフィック系のデザインに関して、シンプルかつ伝わりやすい画や動画を創ってくれた藤井さん、今回のペルソナのベースにもなってくれて、かつ折々“そもそも”の側面に切り込んでくれた松井さん、やや壮大かつ抽象的なコンセプト系の議論をしたがる山縣(←ちゃんと貢献できてたんかなw)、6人の個性がそれぞれに発揮されて、ハードな内容でしたが、Xデザインでの学びを愉しくすすめることができました。
チームでやることの大変さ(←「しんどさ」ではない)と楽しさを、ほんとに満喫できました。みなさん、ありがとうございました!!とりあえず、焚き火会を!
価値創造の実装原理としてのサービスデザイン。
ほかにも、ほんとにいろいろ学びに満ち溢れていて、書きたいことはつらつらとどんどん出てくるんですが、あんまり長すぎるのもアレなんで、ひとつのまとめというか、自分なりの位置づけを申し上げて、締めたいと思います。
サービスデザインって、〈価値創造をめぐるエコシステムを、しっかりと価値の流れ(価値循環)をデザインすることで動的にかたちづくっていく〉ところに、実装原理としての魅力があると感じてます。感じてます、というか、今期の学びでかなりの確信を持って捉えることができるに到りました。
ここで、〈価値創造〉とは「享受者が抱く欲望や期待を充たす(=価値が享受者において発言する)提案を創出・提供することによって、提供者も成果 / 反対給付(=表現が生硬ですが「見返り」くらいにイメージしてください)を得ることができている状態」と定義しておきます。
須永健司先生のデザイン概念定義「使い手の活動に多様な可能性もをもたらすこと」(須永健司[2019]『デザインの知恵』15頁);「使い手の活動とは何かと問うことと、活動の可能性を創造すること」(須永健司[2019]19頁)に立脚するなら、それぞれのステイクホルダー / アクターが抱く欲望や期待、持っている資源や能力をいかにしてつなぎ、結びつけ、享受者(使い手)において価値が発現するように構想形成&実装していくか、ここにサービスデザインの軸があるんじゃないか、と。
今回の一連の講座のなかで、浅野先生が「今まではユーザーと企業だけだったけど、これからは社会課題をどう組み込み、解決への道を提示するかが大事になるよ」っておっしゃられていたのも、こことつながってくるように、私は理解しています。
ちなみに、「しっかりと」というややあいまいな表現を用いましたが、これもそれなりに意味があって、質的調査(+時に量的調査も必要)とその分析を通じて、それぞれのステイクホルダー / アクターが何を欲しているのか、それぞれのステイクホルダー / アクターは他者に何をもたらしうるのか、それらはどうつながりうるのかを深く掘り下げていくということをさしています。
今まで、私自身は経営学史という、ある意味で経営学のなかでもメタ領域に属する研究を続けてきました(これはこれで、これからも続けます)。それだけに、実践からはかなり離れたところで思索を続けてきたわけです。今回Xデザイン学校で一年間学ぶ機会を得て、研究と実践という二極はあるにしても、それは分離的二極というよりグラデーションの二極として捉えるべきであるということを深く感じました。このグラデーション領域こそが、最近WIREDでも特集されたターム〈実装〉ではないか、と。
サービスデザインだけではないでしょうけれども、少なくともサービスデザインは研究と実践の二極をグラデーションとして描き出せる一つのアプローチだと、言い切れるくらいには確信しています。
そこで、まだとりあえず誰も使っていないフレーズとして〈価値創造の実装原理としてのサービスデザイン〉というのを提唱しておきたいと思います。サービスデザインそれ自体の定義ではないですが、位置づけとしては今のところ、ここかなと理解しています。
おわりに。
久しぶりに「教える」立場から「学ぶ」「教わる」立場に戻ってみて、やっぱり「学ぶ」って愉しいよなって、ほんとに実感しました。日本(だけではないのかもですが)では、「学ぶ」ことが苦痛みたいに位置づけられてしまって、しかもそれが「役に立たない」っていう意味不明なレッテルで、やたら貶められている気配が濃厚にあります。けれども、「学ぶ」というのは「やってみる」「考えてみる」の往還運動なので、これなしに実践が磨かれることもないのではないかと思います。本来、これから大学というところも若年層の学びだけでなく、一度社会に出た人たちの学びをも可能にする場でもあるはず。私自身も、この仕事に携わっているので、ここらへんを考え、カタチにしていきたいなと念じています。
同時に、この一年間、Xデザイン学校で学んで、ようやくサービスデザインのスタート地点に立てたかなという実感があります。ここからスタートやな、と。なので、これからもサービスデザインに関する学びを重ねていきたいと思います。
2020年度もベーシックコースを再度受講したい…。2020年度からは、論文指導コース(仮)も設置されるとか…。こっちも行ってみたい…。
↑これも、内容的にめちゃくちゃおもしろそう。入試監督でいけないのが、ほんまに悲しい(*_*)
この一年間、浅野先生、佐藤先生、Bチームのみなさん、ベーシックコースのみなさん、さらにはマスターコースのみなさんに、ほんとにお世話になりました。ありがとうございました!!!!!
上にも書きましたが、この学びをこれで終わらせるつもりはないので、これからも引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
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