変わりたくて変われなくて、きっかけを掴みたくて
2019年3月、私は東京理科大学薬学部を卒業した。
24歳の春。
期待と不安を胸に飛び込んだ新しい世界。
慣れてしまうと、社会というのは学校の延長線上だと思えてくる。
なぜなら扱う題材や責任こそ違えど、そこにいるのは紛れもなく学校を卒業してきた人たちの集団だからだ。
多少年齢層が広がるくらいで、大きな変化はない。
何か変わるような気がする人生の節目を迎えるごとに、私は変わらないことの方が多いのではないかと最近ようやく気づきはじめた。
変わるには相当の意気込みが必要だ。
卒業研究や薬剤師免許を取得するための国家試験に追われながら過ごした最後の1年間は、正直あまり記憶に残っていない。
やるべきことをただ淡々とこなしていたためであろう。
自分の意思で行動した記憶がほとんど無に等しい。
もっとも記憶に残っているのは、やはり大学1〜3年次だ。
サークル、アルバイト、学園祭、出るも出ないも自由の講義、2ヶ月にも及ぶ人生で最も長いであろう春休み…
決して密度の濃い時間を過ごしてきたとは言いがたい私の学生生活であったが、消極的な私にしては色々なことにチャレンジできたのではないかと思う。
大学生活最後の春休み、私は大学のスプリングプログラムでサンフランシスコに行った。
これが私の海外デビューだった。
シリコンバレーで働く方々のお話はどれも新鮮かつ熱がこもっており、とてもわくわくした。
ここでの出会いはもしかしたら私を変えるかもしれない。
そう思えた。
まだほんの4ヶ月前の話だ。
何も変わっていない私がここにいる。
先日グループLINEへ届いたシリコンバレー研修をきっかけに留学を決意した同期がいるとの連絡でふとこのことを思い出した。
多くのチャンスやきっかけが目の前に転がっていようとそれを眺めているだけ、もしくは試食だけして通り過ぎていることが大半の20年間だった。
今こうして文章を書いている間も容赦なく時間が流れていく。
今か今かと待ちわびていた昼休みがあっという間に終わってしまうように、私たちに与えられた時間は決して私のためには止まることも戻ることもしてくれない。
ただひたすらに秒針を刻んでいくだけだ。
文章を書くことは、最近私が好きだと気づけた趣味の一つだ。
履歴書の「特技・趣味」欄にも書いたと記憶している。
決して上手い文章が書けるわけでも人を感動させられるような趣味でもない。
体力だってつかない。
でも、今思っていることは絶対に今しか書けないのだ。
置かれている立場やその時の心境が、文章に大きな影響を及ぼす。
型にはまることなく自由に自分の思いを込めて書かれた文章は、どんな素人の文章であったとしても私には魅力的にうつる。
見栄を張ったりわざと綺麗にまとめあげた文章というのは、すぐに読み手に伝わるのは実感したことがあるだろう。
私は手紙を書くことも大好きで、当時付き合っていた彼にはよく送っていた。
文字にすることが、形を残すことが、大好きなのだ。
手書きの文字にはデジタルの文字では知り得ない情報がふんだんに散りばめられている。
デジタルアートが熱い時代がやってきても、3Dプリンターで何でも再現できるようになっても、シンギュラリティが叫ばれても、変わらずに残したいと思えるもの。
それが私にとっての「手書きの文字」だ。
変わらない私の変えたくないもの。
変わりたい私が変えなくてはいけない現状。
24歳の夏は考えることがたくさんある。
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