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37歳で社会人大学院入学した経緯を、40歳で修了したときに書いてみる

30代までに大学院を卒業したい

30代までに、大学院卒業したい。考え始めたときのなんとなくの理由と動機である。そして、卒業から逆算し2021年10月、37歳10ヶ月に入学し、2024年3月、40歳3ヶ月で卒業。 半年休学したため当初の計画は後ろ倒しになった。時間の確保に悪戦苦闘しながらなんとか修了したのだけれど、修了したときに振り返ると、大事だったのは、大学院を選ぶ過程で逡巡したことだったと思う。2017年ごろから入学までの4年間、何を学ぼうか、お手つきしながら、選んでいった。その過程について、記録しておこう。自分のための備忘録である。

吟味し選べなかった選択肢は人生でぶり返す

こんなことを記録に残そうと思ったのは、これまでの人生で吟味し選べなかった、選ばなかった選択肢がぶり返し、人生を彩ってきた経験があるからだ。きっと、この大学院を選ぶなかで逡巡したことも、これからの10年、20年の人生でぶり返してくる。あれこれと迷って立ち止まったことが結果として良かったということになる。自分の人生のよくあるパターン、そんな確信がある。これについては一般化できるものではないし、再現性があるようなことでもないだろう。かなり主観的なことであり、解釈次第ということでもある。ただ、自分で人生の物語を組み立て納得させていく過程で、自分には欠かせないことなのだ。

高校生の大学の選択、社会人での大学の選択

大人になって何を学ぶのかは、高校生のときの学部名のイメージで選択したこととはまったく違った。比べてみると、そもそも、社会人大学院なんて行かなくてもいい。行くか行かないかも自由だ。もちろん、高校生の時も原理的にはそうなのだが、大学に行くことはデフォルトな進学校にいると、大学に行かないというのは、反抗期、屁理屈、気の迷いでしかなかった。
何を(学部学科)どこで(大学)学ぶかを検討するときに、社会人は情報収集も上手にできるし、関係者に話を聞くことも気兼ねなくできるし、質問も上手にできる。大学に通った経験があるから授業や学問のイメージは湧く。難しい本を読むこともできるから、事前にリサーチも可能だ。
高校生のときは何を基準に選んでいいかもわからない。学部名のイメージ、とりあえず行ってみたい大学に見学したときの印象、受験科目程度でしか考えられていなかった。全体像がわかっていないから体系的な情報収集なんてできるわけなく、断片的に集めた情報を組み合わせ、足りない想像力で未来を思い描いただけだ。ちなみに、当時の自分は、上位の大学に行けるに越したことはないが、そんな高望みのできる成績ではなかった。進路を考えていた高1・2の時点では、部活に精一杯で、勉強を頑張ろうという気も湧いていなかった。行けるところに行ければいいやくらい。そのスタンスは最後まで変わらなかった。

第一子の誕生と家の近くにある大学

さて、ここからが本題に入る。社会人になって大学院に通おうと思ったきっかけから、大学院の調査、選択、修了までの大まかな選択と逡巡の道程を記録する。2017年1月、第一子の誕生4ヶ月前に、自分の時間を確保できなくなる未来予想がありありと見えて、危機感を持った。そういえば、30代までに大学院は卒業したいなと漠然と考えていたことを思い出し、急に検討しはじめる。当時は上野公園まで歩いて10分くらいのところに住んでいた。その途中にあった東京芸術大学、つまり家の一番近くの大学に通ってみようと思い、科目履修生で週1コマを履修した。社会人で大学院っていけるんだろうかの実験である。
4月から通いはじめ、大学の掲示板をみると、面白そうな情報がたくさんあった。そのうち、2つに食いついた。1つは3331である。聞いたことはあったけれど、足を運んだことはなかったので行ってみると、プロジェクトスクールなるものがあることを知った。せっかくだから参加してみようと飛び込んだ。もう一つは東京藝術大学の大学院である。キュレーションを育成するコースがあることを知った。20代に何度か展覧会を企画したこともあったので、興味があるし、受験してみようと思い、即座に願書を提出。場違いであることを感じながらも、9月の最終面接まで進んだ。そこで、大学院側が求める学生像(具体的には、仕事を辞めてフルタイムで大学院生をやる)と自分がマッチしていなかったことに気がついた。自分としても働き続けながら続けられる自信が持てずにいたため、翌年度も受けようというつもりにはなれなかった。

働きながら通える大学院としてのMBA

2018年は、働きながら通えるという点から、夜間と土日に授業があるビジネススクール(MBA)を検討することとなった。知人の紹介から新設されたばかりの大学院を検討しはじめた。事前に学長に面会し、カリキュラムとコンセプトに魅力を感じた。即座に書類を準備し試験を受け、合格。しかし、私立であり、学費が高いことがネックであった。奨学金や所属する組織からの支援を相談していたが、いずれも獲得できず、入学を辞退することに。お金のネックがなければ、入学していただろう。しかし、乳飲子がいる状態で、終業後に30分移動し、大学院に行き、深夜に帰る生活は無理がありそうだった。入学が決まってから、具体的に家族に相談すればいいやとたかをくくっていた。仮に奨学金を獲得できたとしても、仕事と子育てを両立しながら、修了まで辿り着くことはできなかったかもしれない。お金よりも時間、それが当時、最も希少なリソースであった。

大学院ではない選択肢

2019年、国際文化会館(六本木)主催の新渡戸リーダーシップ・プログラムに応募した。育児と仕事の両立が可能で、家庭への影響も少ないだろうと考えた結果だ。3年も検討すると自分自身のニーズもわかってきていた。学位が欲しいわけではなく、仕事外での場を通じた学びと出会いを希求しているのだと、そう言い聞かせていた。書類審査は通過したが、面接審査であえなく不合格。英語での面接にまったく応答できなかった苦い経験である。このほか、家から近い東京大学本郷キャンパスの大学院もあれこれ探し、説明会にも足を運んだが、惹かれる内容のものはなく、検討にとどまった。

コロナ禍で群馬移住、育休で大学院を再検討

2020年はコロナで群馬に引っ越した。都心にある大学院や学びの場から離れてしまった。距離も離れ、時間もかかり、さらに第二子も誕生することもあり、大学院はもう難しいだろうと思っていた。しかし、2021年3-4月に育休を1ヶ月取得した。時間ができて、ぼんやりと本棚を整理しながら眺めてみると、人類学の本が多数あることに気がついた。本棚に自分の興味関心を教えてもらった。そして、大学院について再び調べ、人類学を学べるところはないかと、探しはじめた。最初は群馬県内の大学を探っていたが、なかなか見つからない。そして、どういうきっかけか覚えていないが、JAISTという選択肢を見つけた。人類学を学べる研究室があり、教授がいる。即座に書籍を手に入れ、読んだ。

同じタイミングで卒業したmihozonoのnoteも読んだ。めちゃ参考になった。

善は急げ、オンラインでの説明会に参加。入学を前提に話を聞いてみると、研究をしっかりとやり、論文を書く大学院であるということが印象に残った。芸大でもMBAでもそんな話はなかった。伊藤教授とも面談。人類学で論文というなら、民族誌を書くということだ。それは面白そうだと思えた。きっと、ここで学べは新たな道筋が見えるはずだと確信できた。

オンライン授業という光明

そして、決め手になったのは、オンライン対応だ。JAISTは社会人キャンパスは品川にあり、コロナ禍以前は通学することが求められていた。しかし、コロナ禍によりフルオンラインで受講できるようになった。移動時間もかからない、どこからでも授業に参加できる。東京から群馬の往復4時間の移動が負担になっていたが、その移動時間でも授業を受けることができるし、レポートを書くこともできる。また、石川県の実家に帰省した際には本キャンパス(能美市)で学ぶこともできそうだ。6月に研究計画を練り、夏に受験し、無事に合格、10月に入学、2024年3月に修了した。この間に、品川キャンパスに訪問したのは授業で1回、修論相談で1回、ゼミで1回、修論発表で1回、計4回である。石川キャンパスには帰省に合わせて6度ほど訪問し、研究相談や図書館での作業に充てた。

大学院で時間を浪費した7つ(+1つ)のこと

1.オンライン授業

卒業要件を満たす単位取得のためである。単位がとりやすそうと、興味のない授業をとって、痛手を被った。

2.副テーマ研究

修論指導とは異なる教授との研究活動。マンツーマンでの議論を重ね、学会発表を2回行った。投稿論文への丁寧な指導には本当に感謝している。

3.月1ゼミと共創ゼミ

月に1回の研究室のゼミ。日常に忙殺される中で、研究のペースメーカーとなった。自由に参加できる共創ゼミ。特に研究計画を立てる過程で、緊張感を保ち、フィードバックをもらえる良き仕組みであった。

4.ビジネスコンテストへの参加

石川キャンパスには、学部から直接大学院に進んだ20代前半の学生がいる。彼らと協力しながら、ビジネスコンテストに参加。雪をテーマにした学びについて深めることができた。

5.フィールドワーク(参与観察とインタビュー)

人類学の専攻なわけで、これにはしっかりと時間をかけたかった。十分とは言えないが、隙間時間をやりくりし、深く広く調査することはできた。

6.修論執筆

とにかく、必死に書いた。書くために、過程をfacebookで公開し、怠けない努力をした。実際には、2023年の年末から2024年の1月末までの1ヶ月と少しで描き切った。

7.研究会や学会での発表

副テーマで2回、本テーマで2回、それ以外で1回。表彰もいただいた。

8.転職活動

在学中に、教育の事業会社からシンクタンクへと転職。時間と距離の問題である。リファラル(社員からの紹介)を経由した入社である。

「What if」を想像してみる

もし、MBAを選んでいたら、
もし、藝大に入れていたら、
もし、大学院に行かなかったら、

まったく違う人生が待っていたと思う。
それぞれを想像するだけで、ゾッとするし、ワクワクする。

あったかもしれない違う人生、
修了した今なら、今だからこそ、シュミレーションができる。

社会人大学院で何をどこで学ぶかの選択は、自分のペースで、時間をかけて取り組める。僕の場合は人類学にするか、ビジネススクールにするか、芸術学にするか、大学院以外の選択肢を1年に1つづつ検討することとなった。あくまで結果としてであるが、ひとつひとつ実際に探って、お手つきして、受験してみてよかった。多少のお金と時間はかかったが、自分の人生の行く末を考え、気持ちを確かめながら、じっくりと確かめていくことができた。

高校生ならば、学校のペースで、時間をかける余裕もなく取り組まなければならない。同時にまったく異なる分野の学問を比較検討することは酷である。不完全すぎる情報を用いての選択とも言えるだろう。最もWhat ifを考える必要があるときに、それを想像するための能力も情報も資本も足りない。未知に向かって飛び込むしかないのだ。それはそれで潔いイニシエーションでもあろう。

今後のこと、どうする

JAISTでは博士後期課程には進学しない。ただ、人類学は継続して学びたいし、研究もしたい。テーマを変えたいと思っている。
また、修論について、発表する機会をいくつかもらっている。引き続き、現在のテーマも磨きをかけていきたい。
さらに、学ぶだけでなく、在学中に転職した先で、業務に活かすことも決まっている。修士論文を発展させること、人類学をシンクタンク業務やコンサル業務で応用することである。
そして、研究室のメンバーとも、デザイン人類学をキーワードにあれこれ企んでいる最中だ。
40代になって、やりたいことはますます増えている。

最後に ー真面目さの獲得ー

30代後半に社会大学院に通い、真面目にまっすぐ取り組み、評価を受けたことで、これまでに持ったことのないタイプの自信がついた。地道にコツコツとやれたこと、それが評価されたこと、今までは楽したり、近道したり、人と違うことをやり、人生を凌いできたこととは感触が違う。真面目になろうとは思っていないし、真剣に非真面目で行こうというスタイルは変わらない。ただ、取り組める自分を発見できたこと(まだ残存していたこと)は、今後の大いなる糧になると思っている。

大学院では優秀修了者に。学校から表彰されたのは、小2の写生大会以来じゃないだろうか

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