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言葉弁当

感情を言葉っていう箱に詰める時、少し見栄を張って綺麗に整えてみたりする。
普段使わない漢字を使ったり、相手が好きそうな言葉や喜びそうな言葉を選んだり。

収まりきらず溢れたりもする。
その場合だいたい、上手く伝えられないけれど、と前置きして保険をかける。
お弁当のおかずを作りすぎた時みたいに、入りきらなかった言葉たちは自分で咀嚼することになる。

スカスカで言葉ばっかり大きくもなったりもする。目標を定める時、だいたい、わたしはこう。
お土産用に、とキャリーケースに余裕を持たせて出かけるのに近いかもしれない。
その方が、旅の途中で出会った考え方や意見を取り入れられるから。

言葉に入りきらない感情もある。
ずっと心に留まっている。心の中で感情がフードプロセッサーにでもかけられているみたいに、ぐじゃぐじゃに留まる。せっかく細かくしたのに言葉に入らない時、そのまま行き場もなく冷凍保存して、いつ訪れるかわからない、その感情にぴったりの言葉を待つ。

逆もある。
流行りの言葉を心の中に冷凍しておいて、その言葉にぴったりの感情がくる時を待つ。



感情を言葉に詰める作業って、お弁当作りみたいだなと思う。誰かを思ったり何かを思ったりして作るものだから、言葉は必ず誰かへの贈り物。言葉は感情に1番近い存在。

詰め方が甘くても、言葉が美味しくなくても、その人のことを知りたかったり、寄り添いたい時、箸を伸ばし平らげる。

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