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冒険家 阿部雅龍|蔵出し生ドキュメンタリー

100年前の日本人探検家 白瀬矗が成し得なかった南極点への人類未踏のルートを単独徒歩で踏破するのがプロ冒険家 阿部雅龍氏の大きな夢である。17年間このために様々な冒険遠征を繰り広…
ドキュメンタリー映画では観ることのできない撮影素材、製作過程を素のまま観ていこうじゃないかという実…
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記事一覧

コロナのピンチに冒険家は何を考えているのか。 ~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.18~

コロナの影響で多くの人がステイホームだった初夏のとある日にオンラインで冒険家阿部雅龍さんと話した録画生素材の第三回。 今回はコロナ禍での生き残りのことなどを、いつものようにザックバランに話しています。 自らの冒険遠征にも支障がでそう(当時は今期の遠征中止は決定していませんでした)な状況下でも、世界も日本も危機的なことについて 「ぼくらが、やばい時になんとかしないと」 と冷静に彼は語ります。 終盤は、亡きお父さんについての普段語らない話も飛び出します。 今回もぜひお

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今人生がすごく楽しい。 ~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.17~

コロナでのステイホームがはじまったばかりでの、オンラインインタビュー(というか雑談)動画蔵出しの第二弾です。 ここ最近は、このような世界状況でも精神が安定していて怒りなどの感情コントロールが非常にうまくいっていると語る阿部さん。 かつては家族やまわりの大人への不満、高い理想に届かない自分への怒りで心が沈むことが多かったと言う彼も、今は人生が非常に楽しく、充実していると明るく語っています。 前回同様、うちの家族の声などが入ったり、画質がいまいちだったり(PCキャプチャです

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コロナ禍第一波中のオンライン雑談 ~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.16~

今春のコロナ禍第一波で世の中ステイホームな時期(今もあんまし変わらない気がするのに、ちょっとなし崩し感のありますね。)、ドキュメンタリー映画の取材も憚れる状態でした。 とはいえ、渦中に阿部雅龍は何を考え、行動しているのかを記録せねばと考え、オンラインにて雑談形式でインタビューをし、アーカイブすることにしたんです。 うちも自宅からなので、二歳児と妻の声なんかがバッチシ入っていたり(阿部ちゃんの子供じゃありませんよ)、パソコンからの映像アーカイブだったりで、映画の素材にはなら

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冒険家、無念の独白その後 ~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.15~

2019年前人未到の南極冒険遠征直前の壮行会シリーズの第三回。 今回は、前回の無念の遠征中止発表のあとの撮影素材です。(前回VOL.14は下記をご覧ください) 前回はこの映画プロジェクトで撮影を開始して以来、はじめて感情が溢れ出したシーンでした。 今回の蔵出し素材の前半は、はっきり言って音声がNGですが、壮行会の感想を話していたり阿部氏の素顔を垣間見れるショットです。 2020年の今年も8月が終わり、延期となった南極遠征のシーズンが目の前。果たして今年は遠征に行けるのか

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プロ冒険家、無念の独白 ~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.14~

2019年秋。 前人未到の南極冒険遠征直前の壮行会シリーズの第二回をおおくりする。 南極のアメリカの冒険遠征サポート会社ALEからの直前のチャーター飛行機NGの連絡で、急遽、多くの支援者が集まる壮行会会場は、遠征延期を発表する場となった。 来場の方々のほとんどが、そのことを知らない中、いよいよ阿部氏が登壇。 おそらく、かなりのプレッシャーだったろうと思う。 本来遠征に出発する予定の1ヶ月強ほど前の断念である。 そして行く前提で必死の思いで集めた冒険資金約7000万円に

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南極しらせルート冒険壮行会~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.13~

前回までの居酒屋での長〜い雑談シーンを終え、今回からは、2019年秋に冒険家 阿部雅龍氏念願の”しらせルート”(明治時代に南極に上陸した日本人探検家 白瀬矗が極点到達していたら使っていたであろうルート)での前人未到の冒険遠征直前の壮行会シリーズのスタートだ。 結論、南極への飛行機チャーターをしているアメリカの会社からの通達により2019年の南極行きは延期確定となった。 冒険家の地元支援者のみなさん、ファン、スポンサー、応援のみなさんが多数集まっての壮大な壮行会は、急遽、遠

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冒険を撮らない冒険家のドキュメンタリー

はじめにYAMANOVAは発足以来、アウトドアレーベルとして活動している。 トークイベントシリーズ「YAMANOVA」からスタートし、ウォーキングワークショップや田植え体験など試行錯誤で様々なイベントを開催してきた。現在も長野県の長和町のエコーバレースキー場にてRUN & BEERという野外イベントを企画したり、ヨーロピアン・アウトドア・フィルム・ツアー(E.O.F.T.)というヨーロッパ最大のアウトドアフィルム上映会を日本に持ってきたり。 (残念ながら今年、両方とも新型コ

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居酒屋インタビュー最終回~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.12~

冒険家阿部雅龍氏との居酒屋雑談インタビューは8本目にして、いよいよと言いますかやっとと言いますか(笑)最終回です。 休んでるときの罪悪感、人力車を売ってしまった後の暮らしについて(どうやって食っていきつつ目標へ向かうのか)などライトに語り合っております。 ところで、この映画つくりを始めるにあたってあらかじめ阿部氏と約束していたことがあります。それは冒険家の映画を撮るのにかなりの制約なんですが。 彼はソロでの冒険をこれまでずっとしてきており、冒険には、サポーターはもちろん

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ハッピーエンドにしなきゃいけない。~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.11~

プロ冒険家阿部雅龍氏との居酒屋での雑談インタビューは早7本目。 いつまで飲んどんじゃい!って声もいい加減出てきそうですが、酒を酌み交わしつつ時折でてくる、なかなか普段本音が垣間見れます。 「ハッピーエンドにしなきゃいけないんですよ」 「誠実になりたいとは思ってますよ」 「ぼく、まっとうなことしか言わないでしょ」 実は彼の映画の企画段階にはじまり、クランクインしてからもずっと悩んでいたことがあります。 それは、彼の発言や態度、生き様があまりにもまっとうだということでし

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冒険家がアイデンティティを見つけるまでの話~阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.9

居酒屋での冒険家との雑談トークはまだまだ続きます。 酒を飲むと本音が少し出るのではという思惑もあり、こういう形のインタビューにしたのですが、はい、後半戦にはいり徐々に出てきました。 母との関係について、そして阿部雅龍氏がアイデンティティを見つける前のことについて、語ってます。 インタビュアーのぼく、山本のしゃべりが多すぎのところはカットしております笑  他では見せない阿部氏との対話をぜひお楽しみください。 ※この記事、なんか知らんけどよい!と感じて頂けた方は♡マークを

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冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由〜3

1つの夢が叶う瞬間だ。この為にカナダに来たと言える。 Banff Mountain Film Festivalはカナダのアルバータ州バンフで毎年秋に行われる映画祭で、同祭で受賞した作品はワールドフィルムツアーとして世界中で上映される。日本でも毎年開催されており、長野や東京などでツアーして開催され人気を博している。本場、バンフではBanffCentre(バンフセンター)という総合施設内にある劇場で1週間に渡って上映され、映画の監督・撮影陣が舞台挨拶をしたり、最終日には授賞式が

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冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由〜2

カナダのアルバータ州バンフにある映像会社から「今は新規スタッフを受けいれることができません」。という返答を貰った。当時2009年は世界的にSwine-Flu(豚インフルエンザ)が流行していて、世界中の観光業が打撃を受けていた。特に団体ツアーはこのような状況になると一気にキャンセルになる。この映像会社は日本人ツアー団体客に同行して映像を撮ることをメインとしていたので大打撃を受けており、とても新たに人を雇うことなど出来なかったのだ。 普通はここで、「そうですか、残念です。」と返

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阿部雅龍 蔵出し生ドキュメンタリーVOL.08

2019年の南極遠征出発直前に飛行機を飛ばせなくなり遠征延期が決定した直後に居酒屋にて行った雑談インタビューの続きです。 今回は宇宙の中での自分の立ち位置(=役割)から、冒険家としてのあり方まで、そして自身の応援者はできるだけ全員置いていかないという姿勢の話など。 比較的、素の状態で語る姿をぜひご覧ください。 インタビュアーのぼくが喋りすぎなのはお許しください。 (VOL.07の動画を謝って貼ってました。2020年5月29日18時30分からVOL.08に差し替えすみです

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冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由〜1

 冒険映画を作りたいと最初に思ったのは、13年前の2007年4月、24歳の時だ。自身初の冒険と言える南米自転車縦断11,000kmから帰国して1年後に、山形県最上郡にある恩師の冒険家・大場満郎さんが主催する冒険学校にて報告会を開催して頂いた時だ。  大場さんは、世界で初めて単独徒歩で北極海を横断した冒険家で、日本国内の北極南極冒険家として今でも最高の実績を持ってる方だと思っている。大学生時代に大場さんに憧れ、大学を休学して冒険学校にスタッフとして半年間住んでいた。その後にも

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