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冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由〜2


カナダのアルバータ州バンフにある映像会社から「今は新規スタッフを受けいれることができません」。という返答を貰った。当時2009年は世界的にSwine-Flu(豚インフルエンザ)が流行していて、世界中の観光業が打撃を受けていた。特に団体ツアーはこのような状況になると一気にキャンセルになる。この映像会社は日本人ツアー団体客に同行して映像を撮ることをメインとしていたので大打撃を受けており、とても新たに人を雇うことなど出来なかったのだ。

普通はここで、「そうですか、残念です。」と返答して諦めるのかもしれないが、僕は諦めが悪い。どこまでも食い下がる。

「とにかく何でもします。始めは給与を貰えなくてもいいので、貴社で働かせて下さい」とメールを返した。そうすると、「分かりました。そこまでおっしゃるのであれば、給与は出せないですがアコモデーション(従業員用の部屋)は用意します。カナダにいらして下さい。」と快諾を頂いた。とにかく現地に行くことだ。

最悪、これでも断られたらカナダの会社に実際に訪ねに行き、直談判でお願いするつもりだった。それでも雇ってくれないなら、会社のドア前で座り込みをして置いてくれるまで頑として動かないだろう。その気になればドア前で何日でも寝袋で寝てやるだろう。相手が認めてくれるまで。

僕は常にこうした思考と行動で生きてきた。昔はこういう性格ではなかったが、恩師の冒険家の大場満郎さんに「あなたみたいな冒険家になりたいんだ。何でもします。」と手紙を書き、志しを持った時からこうなった。まずは情熱だ。諦めなければ道はあるものだ。同時に、そういった部分を情熱的だと思われることもあれば、しばしば狂気じみてると思われる事もあった。

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