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冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由〜3


1つの夢が叶う瞬間だ。この為にカナダに来たと言える。

Banff Mountain Film Festivalはカナダのアルバータ州バンフで毎年秋に行われる映画祭で、同祭で受賞した作品はワールドフィルムツアーとして世界中で上映される。日本でも毎年開催されており、長野や東京などでツアーして開催され人気を博している。本場、バンフではBanffCentre(バンフセンター)という総合施設内にある劇場で1週間に渡って上映され、映画の監督・撮影陣が舞台挨拶をしたり、最終日には授賞式が行われる。本場と言っても大規模な上映会ではなく、劇場には席が数百程度しかなく、その席も満席ではない。意外と落ち着いた雰囲気は意外だったが、ワールドツアーを通して多くの人の目にフィルムが触れていくということなのだろう。

僕は一週間の間、この施設に入り浸ってアウトドア映画の聖地の空気を満喫した。日本人のフィルムも1つだけ上映され、監督が舞台挨拶に来ていた。スノーボードで山から滑り降りてくる様子を音楽にあわせて流すスタイルで5分に満たないショートフィルムだったかと思う。日本人の冒険分野ではフィルムまで考えている人がいなくても、もともと映像制作が重要なファクターになるエクストリームスポーツの世界の人は早い時期から着目していたのだろう。

30分を超えるようなドキュメンタリー映画は少ない。前述したように音楽とアウトドアを組み合わせたような軽快でご機嫌なショートフィルムの方が圧倒的に多いようだ。長編を作るとなると、それなりの取材時間なりストーリーが必要になるからだろうか。だが、長編ドキュメンタリーこそ映画祭の華であるように感じたし、僕の冒険のスタイルから言っても長編の方が向いていると感じた。

授賞式の壇上でスピーチをする映画製作陣を見ながら、いつかは僕もあそこで話すんだ、と想像する。何を壇上で話すかまで決めてしまった。日本人の冒険の可能性を広げ、日本人のユニークな冒険を世界に伝えるんだ、そして日本に輸入するスタイルで映画上映をする。などと、まだ大した冒険の実績も上げていないのに考える。夢を見るのは自由だし、そもそも夢は見なければ叶える事もできない。現地で映画祭を体感して一気に夢が現実に近付いたような気がした(実際にその夢が現実になってくるのは8年も後の事だが)。

僕は冒険を志した時から、行為と表現は対になるべきものだと感じていた。行為は表現して伝えることで、誰の心に火を灯す。そこまでして完成である。そして冒険と映画という組み合わせは、少なくとも日本人の誰もが実行していなかったし、書いている今現在でも実行されていないだろう、という新しい表現手段であり、自分にコントロールできない恣意的な表現が入ることのある大きなメディアとは違い、自分が伝えたいものを純粋に伝えられる。大きなメディアはそれはそれで大事だが、それとは別個に自分の軸を通せる自分発のメディアの必要性を感じていた。同時期に英語版Facebookがリリースされ、僕もそれを使い、自分発のメディアが伸びていくのを確信していた。外国人たちとの付き合いが多かったので、英語ベースで新しい情報が入ってくる。だから一般的な日本の人たちよりも時代の流れを早くに気付くこともできた。

恩師の冒険家・大場満郎さんも僕によく言っていた。
「社会の流れを見れないとプロの冒険家としての活動はできない。」と。大場さんが主宰する冒険学校でスタッフとして住み込んでいた時、毎朝、新聞を読み漁り社会ニュースを真剣に見る大場さんの姿が印象的だった。

映画を作ることや冒険を表現するという事を意識しだした頃から、自分の人生と冒険のストーリーラインを考え、撮られる側の人間としての意識を持たねばならないと思うようになった。日本人冒険家としての自分自身のブランディングと言えばいいだろうか。無理して自分を作り着飾る必要はないが・・。

僕の場合は国内外の両方から見ても日本人らしい日本人が答えだった。
外国では日本が神秘的な國だと思われている事が多く、

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