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歌は時間の彫刻


3/5のライブに向けて練習をしているんですが。

歌をうたうことって、あらためて、彫刻みたいだなあって思っているのです。

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練習をしていると、うまくいかないこともたくさんあって、でもうまくいくこともたくさんあります。

歌いながら「うまくいった!」とか、歌い終わって「うまくいった!」って思うときって、自分が描いた歌の軌跡が、「あるべき姿」におさまったと感じられるときなのです。


音楽っていうのは自由だし、その瞬間の心の動きとかがどんどん反映されていく方がいいと思うんだけど、同時に、曲の最初の一音が鳴りはじめて、最後の一音が消えていくまでは、積み上がっていくものだと思うのです。

時間の積み重なり、言葉の積み重なり、メロディの積み重なり、リズムの積み重なり、和音の積み重なり、感情の積み重なり。

それこそいろいろなものが、3分とか5分とかのあいだ、順々に積み重なっていく。

その積み重なりを感じながら、その流れに身を任せていると、曲の終わるときにはその聴体験にかかった時間のなかに、その音楽の描いた立体が浮かび上がっているような気がします。僕は、ですけど。

だから、時間を彫刻をするような気持ちで、僕は歌っています。

大きな大理石の塊からなめらかな肌をもった女神を取り出すみたいに、散漫な時間の塊のなかから、いちばんあるべき姿の音楽を取り出す、みたいな。そんな感覚。


誰から聞いたのかわからないけど、優れた彫刻家には、石の塊なり丸太なりの内側に、これから彫るべき形が、その形のまま眠ったように存在しているのが感じ取れるんだそうです。

で、石や丸太を彫って作品をつくるというのは、その塊のなかから、すでに形として見えている女神や猫や仏様を、救い出すような作業なんですって。

歌も、それと同じような気がしていて。


時間のなかにはすでに、その音楽の「あるべき姿」が存在していて。

それは「これでしかないただひとつのもの!!!!」みたいな強固な存在ではないのだけど、でもたしかに「あるべき姿」が存在していて。

それを、歌うことで彫りだしていくというか、救い出していくというか、そんな感覚。

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今回は僕のなかで、「寄り添うこと」がテーマになっています。こっそり。

それはたぶん、このところ、「寄り添うこと」が上手くいかなかった経験をいくつかしてきた、僕の悔しさややるせなさみたいなものが影響しているんだと思うのだけど。

僕の歌を聴きにきてくれるみんなは、本当にすごくて、仕事や勉強やいろんなことにいつも頑張っていて。

だから、そういう「頑張っている日々」を続けている人に、「よく頑張ってるね!」とか、「しんどくなったらいつでも隣にいるよ」みたいなことを、きちんと伝えたいなと思うのです。

しあさっては、そんな気持ちで歌います。



山野靖博ソロライブ Vol.8

2018/3/5(mon)
19:30〜/21:00〜
@赤坂トナリテ
MC 3,000円
予約→yoyaku.yy@gmail.com


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