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【いそがしいとき日記】その16


なーんだかわからないのですが、なかなかに疲労が蓄積されてきています。

舞台本番中、ということもありますが、これまでの舞台はこんなに疲れなかった気がするものなあ。なんでだろうなあ。

比較的、開演の時間が早い、とか、上演時間も長めだ、というような要因もあるでしょうし、単に僕の身体が歳を取っているからというのもある気がしますが。笑


でもそれ以上に、作品の性質が影響しているんじゃないかなあとも思います。ズバリ、題材が「SF」であるということが、大きな要因なのではないかと。

だって、出番自体はそれほどたくさんというわけではないのですもの。だから、肉体的な疲労というよりは、精神的な疲労だと思う。


これまで僕が出演してきた商業の舞台の多くは、リアリズムの範疇でお芝居ができるものでした。グレコメのロマたちはリアリズムの範疇から若干はみ出てたけど、メソッド的なアプローチでも十分に消化できました。

でも今回は、完全に「リアリズム」からは飛び抜けてますからね。なんてったって、舞台は宇宙だし。メソッド的なアプローチでも手が余るようなところも多いし。

どちらかというと、「天守物語」とか「ヤマガヒ」とかに通じるものがあるなあと思ってやってます。

「SF」だから、宇宙を走る鉄道とか、機械化人間とか、全員が泣いている酒場とかが、突如あらわれるのです。当たり前のように。そこにいくにはやっぱり、ある程度の「ジャンプ」が必要で。

その「ジャンプ」が、「天守物語」の妖怪になるというジャンプや、「ヤマガヒ」の一種の不条理演劇であるというジャンプと、かなり質が似ている。

もしかしたら「SF」というのは、一種の不条理的な演劇なのかもしれません。

といいつつも、間違いなく言えるのは、銀河鉄道999は不条理演劇ではない、ということ。あくまでも、「一種の不条理的な演劇」である。

不条理演劇については、過去のこんな記事をどうぞ。

「SF」は、そこで起こる出来事が僕らの日常の条理を超えているので、その条理を超えたような状況、現象、状態に対して、俳優がジャンプすべき距離はなかなかに長いわけですが。

だからといって、扱っている題材や、物語の着地点が「不条理演劇的」なわけではないので、いわば、「明るい不条理劇」とでもいいましょうか。SFは、明るい不条理劇。


本日も無事に(といいつつハプニングあったけど)マチネ公演が終わり、東京での公演はあと2つとなりました。

今日の舞台でもいくつかの発見がありました。向き合えば向き合うだけ、演劇は僕に問いや答えや気づきを与えてくれます。

夜の公演も頑張ります。

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