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学問に対する考え

 山のきです。

 大学の後期日程が始まって数日。久しぶりの講義でまた忙しくなります。私はまだ大学一年生なので、ようやく専門科目が増えてきたなという心境です。自分の学びたかった分野をこれから学べるようになって、少し楽しみだなと思ってます。

1. 「問う」のではなく「解い」てしまう

 先日の講義中、大学は勉強じゃなく学問をする場所だと言われました。

 この意識は入学前からありました。大学では答えのあるものを解くのがメインではないと。
 ただ、今の自分は答えのあるものを解く意識になってしまってるかなって状況です。
 答えはあるけど自分の分からないことに対して疑問に思うのも一応「問い」の出発点ではあると思うんですよ。ただ、それもできてない。まだ始まったばかりでしょうがない部分もあると思うんですけども… うーん

 解くことに慣れてしまい、問いを立てることができない。まあ、解くのは思考停止でできる場合もありますから。頭を使わない方に行ってしまってるんでしょう。

 ただ、それだとたっかい学費払って講義受けなくてもいいじゃんってなっちゃいます。

2. 「学問」の難しさ


 学問は文字通り、

「学び、問うこと」

だと思ってます。
 だけど、これがめちゃくちゃ難しい。

 まず、「学ぶ」ということが難しいです。知った気になるのは簡単だけど、それをある程度理解してないといけない。
 じゃないと次の段階に行けませんからね。

 そして、理解してから「問いを立てる」。

 簡単に書いてるけどめちゃくちゃ難しいです。

 なんで難しいんでしょう。

 「問う」というのは、新たな考え、価値観を生み出すこと。0を1にすること。

 私は学問が上記のようなものだから難しいんだと思います。やはり、新しく生み出すのは大変です。知らないといけないし、頭も時間も使うし。
 正直、簡単な方に逃げたくなります。

 ただ、それだと上で書いたようにたっかい学費払わなくてもいいじゃん?ってなっちゃいます。

 せっかく専門家に直接教えてもらえるんだから、「問う」ことに重きを置きたいなとは思います。


 こう考えると、大学生ってのはかなり高尚なものに関わっているんですよね。論文書くとか研究するってすげぇなって思うようになりました。

3. 学問のやり方


 学問ってやり方もよく分からないです。効率を求めるべきなのか、遠回りすべきなのか。

 効率を求めれば、時間を他のことに使えます。でも、それは価値のある学問なのか…

 逆に遠回りすれば、多少価値は高まるでしょう。でも、確実に価値が高まる確証はないし、時間もかかる…

 大学生はどちらを優先すべきでしょうか?

 私はせっかく大学で学ぶなら後者の方がいいのではないかなと思います。

遠回りしながら学問をする過程で、いろんなことを経験したり、学べばいいんじゃないかなと思います。ある程度時間を圧迫した方が、マネジメントもできると思いますし。


 自由時間の多い大学生にとって、大学の講義をどれだけ価値あるものとみなすかは人それぞれでしょう。

 私は、大学を通じて学ぶものを非常に価値があるものと捉えて、これからの大学生活を送りたいなと思っています。

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