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期待しないくらいでちょうどいいんじゃない? - 仕事編 -

「経営企画って何してるの?」と聞かれることが多い。まあそりゃそうだろう。僕だって辞令をもらうまでは何をする場所なのか知らなかったし、いまだって良くわかっていない。ただ一つ言えることは、”会社が良くなると思うことは何でもやる場所”ってことだろうか。

僕は研究所からマーケティング部を経て、縁あって経営企画部に異動になった。経理や財務出身の人が多い中、僕みたいな経歴を持つ人は珍しいと思う。それだけに、他のメンバーに比べていろんなタイプの仕事が回って来やすい。

また、外から見ても僕は変わった存在だと映るのか、本来なら経営企画の仕事ではない相談事を持ちかけられることも多い。
一番困ったのは(特定されないように一部脚色するけれど)、外部講演の発表者を推薦してもらえないかという相談だ。それって経営企画に持ってくる話なのか? 何で僕にそんなことを聞くのかと質問したら、研究所とマーケティング部にいたから新しい話題に事欠かないと思ったから、と返ってきた。正直、酷い無茶振りだなぁと思った。

けれども、どこからも良い返事をもらえなかったから僕のところに来たのかもしれない。ここで僕も断って、この人が露頭に迷ってしまったら気の毒だ。何とかしてあげないとなぁと考え、社内のあちらこちらに声をかけたところ、ちょうど自分のやっている仕事を発信する機会を探している人を見つけた。僕は昔からラッキーだ。
「こんな人はどうですか?」と依頼主に紹介したら、ずいぶん喜んでいた。我ながら良い仕事をしたなぁと思ったものだ。

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一方で、どう扱ったものか悩んでしまう相談事もある。どうにも厄介なのが自分探し系の相談である。これが年に3〜5回ほどある。全部別人だ。
いい年したおっさんが、「私は次に何をしたらいいでしょうか」と僕のところを訪ねてくるのだ。
「そんなの好きにしなよ、お前の人生だろう」と思うのだが、僕じゃないと言えないことがあるのかもしれないので無下には断れない。それに面白いヒントをもらえるかもしれないのに、わざわざ自分から機会を潰すのも勿体ない。そういうわけで、2時間ほど時間を取って話を聞くのだ。

自分の経験も交えて話すと、この手の相談事は問題を解決しようとは思っていない。「僕、こんな大変な目に遭ってるんだ」と話したいだけだ。なぜなら、いま抱えている問題は組織構造上の欠陥が招いたものであって、自分の責任ではないと思っているからだ。でも若干の良心はあるので、「俺は悪くないから」と不良社員になったり、「こんな会社辞めてやる」なんて早まった選択をしたりせず、「僕は間違っていないよね」と誰かに話して安心したいのだ。これは誰にでもあることじゃないだろうか。

だから次のような面倒臭い会話が行われることになる。

相談者「この前グループのみんなと話し合って、新しいテーマにつながりそうなアイデアを3つほど出したんですよ」
僕「へぇ、いいじゃないですか、どんなのですか?」
相談者「こんなのと、あんなのと、そんなのです」
僕「面白そうじゃないですか! 早速取り組まれているんですよね?」
相談者「いえ、これらはただのアイデアなので手はつけていません。いまは別の切り口からアイデアを探しているんですけれど、これがなかなか見つかりません。何かいいネタ持ってませんか?」
僕「え? さっきの3つのアイデアはやらないんですか?」
相談者「ちょっと違うかなと思って…」
僕「違うって? 世の中の動きや会社の方向性を基に議論して出したアイデアなんですよね?」
相談者「まぁそうなんだけど…」

この場合、相談者は「会社は社員に対してもっと強くメッセージを発信しろ」と言いたいのだ。会社の向かいたい方向がより明確になれば、自分が次に何をしたらいいか悩むことはないし、新しく浮かんだアイデアを実行すべきかで迷うこともないと信じている。ひょっとしたら自分の持ち味だってもっと活かせるはずだ、とも思っているかもしれない。極め付けは「役員らはそれくらいやって当たり前だろう、できないなら辞めちまえ」だろうか。

この主張をバカジャネーノで処理してしまうのは簡単なのだが、リーダーシップ論から考えると、これは組織の6割に相当する人たちの意見なので簡単に無視することはできない。
現場でこんな声が上がっていると知った経営層は、「うちの従業員はみんな優秀だ、それは極一部の支持待ち社員の意見だ」と否定するのだろうが、彼らは自分が役員まで上り詰めた優秀な人間だということを忘れている。みんな自分と同じだと思ってはいけない。程度の大小はあれ、指示を待つ人がほとんどなのだ。上も下もお互い期待しすぎだ。

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つくづく、人に期待しないで生きるというのは難しいなぁと思う。
自分の人生、誰にも邪魔されずに生きたいと思っているはずなのに、どうして他人がわざわざ自分のために犠牲になってくれると思えるのか? 理屈ではわかっているのだが、どこかで期待してしまうのが人間なのだろう。で、「裏切られた」なんて逆恨みしてストレスを溜めるのもまた人情なのだろうか。

ほんと人ってややこしいよなぁなんて思いながら、こういう声を参考に将来の組織体制や人事制度のあり方について考えるのも僕の仕事だったりする。
他人に過度な期待をすることなく、自分らしさを発揮しながら、でも適度に人の期待にも応えられる余裕を備え持つ、そんな理想的な組織はあるのかと疑問を覚えつつ、今日も鼻血出るまで考えるのだ。

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