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『キリスト教神秘思想の源流』プラトンからディオニシオスまで

今年は、特にキリスト教神秘思想を中心に、日本の思想との関連についても考えてみたいと思っています。そのため、まずはキリスト教神秘思想についての概要を掴むことから始めることとしました。

本書では、プラトニズムの神秘主義がキリスト教神秘主義の成立に与えた影響や両者の相違点だけではなく、キリスト教内部(東方キリスト教と西方キリスト教)の霊性の違いも明確にされています。
サブタイトルには「ディオニシオスまで」とありますが、16世紀の十字架の聖ヨハネやアビラの聖テレジアの神秘思想までを視野に入れた構成となっていますので、プラトン、新プラトン主義と教父時代の思想のみを比較するよりも、キリスト教神秘主義の独自性(思想・精神性)がより明確に浮き彫りになっているといえるでしょう。

キリスト教神秘思想の独自性には、人格的な神の存在や、神と人間との絶対的な隔たり、人間の努力ではなく恩恵による神との一致などが挙げられますが、最終章で論じられていた「神秘の生と神秘の共同体」という箇所もまた、キリスト教神秘思想の大きな特色だと思います。
つまり、キリスト教神秘思想における「一致への道程」は、決して個人的な営みに限定されず、本書の言葉で言えば「観想と行為の結合」が求められ、個人の観想は教会共同体へと繋がっていなくてはならないということです。キリストのうちに一つとなった教会共同体の一人一人の祈りは、個人的なものにとどまらず、平和と一致をもたらすものでなければならないということでもあるでしょう。
またこれは現代において、さまざまな共同体から切り離された「個人」がどのように生きていくのかといった実践的な問題とも関連しており、特定の信仰を持たない日本人の宗教観について考える際の何らかの手掛かりとなるようにも思います。

アンドルー・ラウス/水落健治 訳
『キリスト教神秘思想の源流 プラトンからディオニシオスまで』1988年
教文館


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