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50億年後(2023.02.13)


50年を50億年と言い間違えた。

子供3人を風呂に入れていたら、長男(7歳)が持ち込んだミニカーで浴槽の縁をガリガリやって走らせている。私は咄嗟にそれをやめさせようとするが、何が悪いのか長男はよく分かっていない様子だ。

まだまだローンが残っているし、浴槽は傷つけないように、大事に使わなければならない。その事をとくと言い聞かせようとしたが、長男は具体的に浴槽をあと何年くらい使うのかと尋ねてくる。

その質問に対して私の口をついて出た言葉が「50億年」だったわけだが、長男はこれに馬鹿みたいに笑った。そして二人で「じゃあ実際50億年後に浴槽はどうなっているのか」について思いを馳せた。

50億年後、おそらく人類はすでに絶滅している。しかし先日読んだ「死は存在しない~量子科学が示す新たな仮説~」によれば、個々の意識は広く宇宙意識と繋がり、その一部となり生き続けるというような事が書いてあった気がする。

じゃあ浴槽はどうか。そこに生物・非生物の区別はなく、浴槽を構成しているものも、最小単位としては結局星や宇宙と同じである。「かつて浴槽であったもの」は50億年を経て浴槽としての形を失ったとしても、浴槽であった頃の記憶・記録は「ゼロ・ポイント・フィールド」に確かに残っていて、それは時空を超えて存在し続けるみたいな事が書いてあったように私は理解している。

そしてこれもいつかの記事でご紹介した「全地球史アトラス」によれば、45億年後には天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突して、50億年後にはとっくに地球は生物が生存できる場所ではなくなっている。この部屋も、家も、街も、日本も、森や海や空や何もかもがすっかり消え失せて、塵となっているに違いない。

しかしかつてあった私たちの生活や、考えた事、生きていた事実は50億年経っても確かにその塵たちの中に生き続け、やがて宇宙が収束して消滅してしまうまで存在するだろう。

とか、この狭い部屋から遥か時空の彼方まで思いを馳せてみたが、とりあえず浴槽は大事に扱って欲しいし、風呂にミニカーみたいな錆びるものを持ち込むのもやめて欲しいと思った。

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