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バトン(2024.03.04)

仕事から帰って風呂に入る前、洗面台で子供たちの汚した服を手洗いしている妻。どろどろに汚れた水を見て「なんでこんなに汚れるんやろ」と、寂しそうに呟いている。当の子供たちはそれぞれに風呂にペットボトルのキャップやらポケモンや恐竜のフィギュアやらをこれでもかと持ち込み、それでも尚、どうでも良いことでケンカしている。ギャーギャーギャーギャーうるさい。

それでも次男が2歳の頃に比べるとだいぶマシにはなった。さらに言えば長女がイヤイヤ期で、次男が1歳の時は毎日の精神状態が基本イライラしており、そんな中たまに凪のような状態があって、妻と私はそこで息継ぎをしてなんとか精神をまともに保っていた。いや、保っていた気になっていただけかもしれない。

とはいうものの、最近は子供たちを妻が迎えに行ってくれるようになり、夕飯の時間がだいぶ早くなって助かっている。以前より気持ちに少し余裕ができたような気がしている。そういう時ふと妻との(まともな)会話が生まれる事もある。

今日の会話では、妻がようやく今の職場を退職できそうだという話があった。直属の上司である方と膝を突き合わせて話をし、上司の方も「仕方ないよね」という事になったらしい。その直属の上司の方は職場で唯一きちんと話ができる方であり、お互いに良い理解者となっていた。最後の方ではその上司の方も一緒に妻の新しい職場を探してくれたりもした。そんな事、普通はしない。なんて良い方なんだと思うが、そういう良いお人柄であるが故に、今の職場では不遇な立場になっているんだと思う。遅かれ早かれ、その方も退職なさるのではないかと、妻と私は睨んでいる。

ともかく、妻がようやく今の職場を退職できそうなので、良かった。色んな事が良い方向に向かっているような気がする。ただ、今日は次男がなかなか眠らないので往生した。いつもの怖い話も次男を寝かしつける事は出来なかった。いつまでも枕元でおもちゃをがちゃがちゃやっていた。ああいう時私がガツンと怒ったら良いのかもしれんけど、それをやると今度は妻のイライラの矛先が私に向かってくるのだ。自分はガンガン怒鳴るくせに。

今日、会社のだいぶ目上の方が、会社のご近所に住んでいる70過ぎのご夫婦と話しているのをえんえん聞いていた。「最近の若い人は辛抱が効かない」とか「ゲームが全ての元凶で、そのせいで凶悪な殺人事件が起きている」だとか「私らの頃は先生から殴られる事もあったし、親からはそれ以上に厳しくされていた。拳が飛んでくるなど日常茶飯事だった」などという、まぁよくある話をされていた。

半分は共感したが、半分は「それは一概にそうとは言えない」と内心思っていた。「ゲームが原因で残忍な殺人事件が多い」という説は、全くの誤りで、凶悪犯罪はむしろ減っているし、「昔は良かった」というのも、過去が美化されるのはそら人間の脳の活動としてそうなるのは当たり前で、私はむしろちゃんと細かく焦点を当ててみると「昔はひどかった」という側面が多かったと思う。

私は二十歳になる前あまりろくな事がなかった。真っ暗だった。だからその「昔が良かった」という話にあまり共感できない。むしろ大人になってからの方がずっと楽しいし、楽だ。ずっと生きやすくなった。

私が小学生や中学生の頃に感じていたようなしんどい思いを子供たちにはして欲しくないと切に思うが、同時に「もうちょっと苦労しようぜ」と思う側面もある。まぁだから一番良いのは自分がやりたい事のために自ら進んで努力する事であるのだけど、なかなかその域にたどり着ける子供はいないだろうなと思う。でも私の失敗や経験を生かして我が子にちょっとだけ良い道を歩ませる事はできるかもしれない。

アレだ、次世代にいかに上手にバトンを渡せるかっていう話だ。私は足がそんなに速くなかったからリレーをあまりやったことがないけど、バトンの受け渡しだけは上手でミスったことがない。願わくば出来るだけ的確に、優しいタッチで次世代にバトンが渡せたら良いなと思う。


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