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カメムシで泣く(2024.05.24)

24日の朝、長男(8歳)が泣いた。

今年はカメムシが多く発生しているらしい。ここ別府も例外ではないのか、朝から網戸にカメムシが二匹ついており、そのうち一匹が何かの拍子に部屋の中に侵入してきて、網戸に張り付いている。

カメムシには容易に近づけない妻と長男。下の子二人はまだ眠っている。

朝ごはんを食べようと、私がちょうどそこにやってきて「カメムシどうにかしてよ」と言われる。「カメムシくらい自分らでどうにかしろよ」かなんか言いながら私はティシュで網戸に張り付いたカメムシをつまんで、外に投げようとしたが、ティシュからカメムシが離れようとしたいので、そのままティシュに丸めて捨てた。

しばらく静かな時間が過ぎた。皆で黙々と朝ごはんを食べていた。

妻が異変に気付き、長男の顔を覗く。長男は泣いていた。なぜ泣いていたかというと、カメムシを私が潰してゴミ箱に捨てたからだ。

妻は「優しいね」とか言っていたが、私はすごく不思議に思った。そしてその疑問を率直に泣いている長男にぶつけた。

「蚊は平気で殺すじゃん」

長男はそれには答えなかった。目にいっぱい涙をためてぐすんぐすん言って、私を見ていた。

長男は蚊のみならず、蜂や色んな虫を害虫とあらばわりと平気で殺そうとする。そうすることが正義であるとでも思っているかのように。

カメムシも害虫っちゃ害虫だ。でもそれを殺すと長男は泣く。なぜなのか。どこで線引きしているのか。私は不思議だった。すごく考えた。そして長男の中では今はその線引きがすごく曖昧になされていて、それが大人になるにしたがって、次第にはっきりとした境界が形成されていくのではないかと、ぼんやり考えていた。

それから長男はふと思い立って、外のゴミ箱を漁り、ティッシュに丸められたカメムシをそこから出した。私が特にぎゅっとカメムシを潰そうとしたわけではなかったから、カメムシはまだ元気に生きており、長男は喜んだ。

長男はカメムシを逃がした。カメムシがその後元気に飛んでいったか私は見ていないが、カメムシにとって長男は命の恩人となった。

私は虫に関しては、命というものを種とか群とかそういう大きな体系でひとつのものなのではないかと思っている。ひとつの個体を殺したとて、何が変わるものでもないだろうと漠然と思っている。しかしもちろん長男にとってはそんな事はなく、私たち人間や犬や猫と同じで、虫にもひとつの命が宿っていると思っているのだ。というか、それが普通の考え方だ。

しかし、蚊やゴキブリなどを平気で殺す自分に対して、その考え方では言い訳ができないのだ。「なんで同じ命なのに、小さな虫は平気で殺すの?」という問いに対して十分に答えられないのだ。だから私は大人になるにつれ、「虫の命は個にあるのではなく、種に宿っている」という考えを持つに至った。

その考え方が正しいとは思わないけど、私の中の矛盾に対する一つの答えだ。だからと言って平気でどんな虫でも殺すというわけではないけど。

という、命というものについて考えさせられる朝でした。

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