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修学旅行とはだしのゲン(2023.08.09)

軽妙な語り口と流麗な文章で、私が敬愛してやまない三毛田さんが平和学習の思い出について語っておられた。

これを読んで、自分が小学生や中学生だった頃も平和学習がかなり重点的に行われていた事を強烈に思い出した。

修学旅行は小学校は長崎で、中学校は広島だった。どちらも原爆についての学習を中心に日程が組まれていた。広島の原爆資料館や原爆ドームは記憶に深く刻まれているし、皆で折った千羽鶴を広島の平和記念公園へ奉納した。

修学旅行以外でも何度も原爆の悲惨な映像を見せられた。今では考えられないようなエグい映像も皆で見た。はっきり言ってその授業のあとに給食の時間を持ってこられても、食欲なんてあったもんじゃなかった。

あのキノコ雲の映像も何度見たか分からない。長崎や広島の原爆についてのものだけじゃない。世界中至る所で行われた原爆や水爆の実験映像をこれでもかと執拗に見せられた。核兵器の恐ろしさについて学ばせるのが目的だったと思うが、私はあれで原爆や水爆、核兵器がトラウマくらいに恐ろしくなってしまい、よく悪夢にうなされたものだ。

あと昔の小学校や中学校なんて頭が固いので、漫画なんて通常図書室に置いていないのだが、例外的に「はだしのゲン」のみが堂々と本棚の目立つ場所に置いてあった。私は「学校で漫画が読める!」と大喜びでこれを読んでいた。漫画が読める喜びもさることながら、漫画自体もとても面白かったのだ。印象に残っているシーンがたくさんある。お母さんがガレキに挟まって助ける事が出来ないシーンとか、原爆の後遺症で全身に蛆が湧いているおじさんとのエピソードとか。

だが、それにしても、だ。確かに「はだしのゲン」は素晴らしい漫画であると思う。それを原作として作られた映画版も何度も見た。しかし、それを修学旅行のバスの中で上映するのは違うと思う。

私は極端に車酔いしやすい子供だった。中学の修学旅行。皆を乗せた楽しいバスは山口の秋芳洞や錦帯橋を経由して、それから広島を目指したのだが、やたらめったらぐねぐねと曲がった道を通るものだから、私はとても気分が悪くなってしまった。なんとか先生に言って前の席にしてもらったのだが、そこで上映が始まったのが先述した「はだしのゲン」の映画だった。

何度も言うように「はだしのゲン」自体は素晴らしい作品なのだが、ところどころ表現がエグい、グロい部分がある。原爆の悲惨さ、そのリアリティーを追求した結果なのだと思うが、車酔いが限界に近かった私にとってそれは最後のトリガーを引くきっかけとなった。

私は十分に耐えた。最後の一線を越えてなるものか。これで嘔吐したら楽しい修学旅行は台無しだし、ずっと言われ続けるぞ、と。

しかしダメだった。作品の中で原爆が落ちて、たくさんの人が業火に焼かれ、皮膚がただれ落ちるシーンがあるのだが、よせば良いのに私はそれを見てしまったのだ。

そしてついに耐えきれず、私はバスの最前列で派手に腹の中のものを嘔吐してしまった。途端に吐しゃ物の匂いが充満する車内。楽しかった車内が一気に悲鳴で溢れかえる。同級生の非難と怒号が私に一斉に浴びせかけられるが、私はそれどころじゃなかった。

私は「はだしのゲン」を上映した誰かに対して怒っていた。それが誰だったのかは今も分からないが、その不条理が許せなかった。慈悲の心はないのかと。車酔いで苦しんでいる生徒が「はだしのゲン」を見たらどうなるかという想像力はあのエラそうにしている大人たちにないのかと。

そうしてうずくまっていると、車内のあちらこちらから人が嘔吐する時の、あの身も蓋もない音がいくつか響いた。私が嘔吐したのをきっかけに、何人かがもらいゲロしたのだった。

車内は悲鳴とむせ返るような悪臭に支配された。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。しかしその様を背後に見ながら私はちょっと気分が良かった。ざまぁみろと思った。

次の目的地で車を降りた私は案の定皆から非難された。そしてその先鋒となったのが、普段から私をイジり、なんならちょっといじめていたと言えなくもないY君だったのだが、どうやら彼ももらいゲロした一人のようだった。

「おまえが吐いたけんおれも吐いたんばい!」

彼は何の臆面もなくそう言って私を非難した。そうして私の肩のあたりにパンチした。私は「ごめん」と言いつつも内心ちょっと愉快だった。そしてその愉快な気持ちは今も私の心にある。

あの時のみんな今どうしているかなぁ。元気にしているだろうか。ちなみに私はその修学旅行以来一度も「はだしのゲン」を見ていない。

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