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子ども𠮟るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの

 私は、子供のころ3世代で暮らしており、小さい時は祖母に面倒を見てもらっていました。
 祖母は、戦後の農地改革云々で田畑を手放し弘前に移り住んでからは大変な苦労したそうです。ただ私が物心ついた頃からは生活が厳しいのにも関わらず外に働きにでることもなく厳格な祖父のもとで専業主婦として日々の生活を送っていました。
 祖母は、とても優しい人で「子どもは絶対叱ってはダメ、かわいそうだ」とよく言っていました。私は祖母に一度も叱られたことはありません。
 私が、中学生の頃に祖父が肺炎で急死しました。その死は、祖母に大きな影響を与えました。厳格な祖父に依存していた部分が多かったのだと思います。葬儀が終わった日の昼食を食べ終えた祖母が「まだ昼まんま食べてねじゃ」ともう一度ご飯を食べたのです。今思えばそれが認知症の入口だったと思います。
 私が高校生の頃、兄の結婚披露宴に私は認知症が進んだ祖母をキレイな服に着替えさせ、髪を整髪料で整えて会場まで連れていきました。祖母は、誰の披露宴かピンと来ていなかったと思いますが、久しぶりに会う親戚に頬を赤く染めて喜んでいました。
 私が大学生の頃には入院するまで症状は進み、ベットから落ちないように拘束された祖母の姿に私はショックを受けました。今でもその姿を思い出すと心が痛みます。大学4年生の時に祖母は亡くなりました。


 現在も私は3世代で暮らしています。父は80歳、現在認知症が進行しています。父もたまにお昼ご飯を食べたことを忘れます。そろそろ私や孫たちのこともわからなくなるかもしれません。
 私の子ども達は今の父をどう見てるんだろう?とたまにふと思ったりします。元気なころは孫の学校への送迎を楽しみによく面倒を見てくれました。そして父も祖母同様子ども達のことを一度も叱ったことはありません。
 父の認知症はこれからも進んでいくのだと思います。そのことは覚悟をしています。
 私も二人の血を受け継いでいます。同じ老後となるかもしれません。その時には、子ども達には「おじいちゃんに似てきたなー」と淡々と接してほしいと思っています。他の高齢者の方々にも優しくあって欲しい。そして、親になった時は子どもを叱らないで。
 「子ども叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの」
みんなが、子どもにもお年寄りにも優しい弘前であり続けることを心から願っています。

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