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三年日記/意図的に忘れる

こんにちは。公認会計士の山本です。

前回、前々回と書きましたが、私が三年日記を付け始めてから、今年の12月30日で30年目に入ります。

今回は「意図的に忘れる」というメリットについて、書きたいと思います。

前回、人は忘れるので、日記に覚えてもらう、といったことを書きましたが、

一つ厄介なのは、

結局、忘れるにしても、忘れる速度というものがあります。

普通のことは最速で忘れます。

自分にとって気持ちの良いことは、ある程度、長く記憶に留まるのではないかと思います。

一方、問題なのは、悲しい記憶や、辛い記憶、人に馬鹿にされた記憶等、マイナスの記憶というのは、結構、長い間、自分の中に留まり、その対処に相当のエネルギーが必要になります。

これを、三年日記に書くことにより、

「私の場合は」ですが、意図的に忘れることができます。

というのは、

記憶が三年日記の方に移るので、自分の脳で覚えておく必要がなくなることと、

もう一つは、マイナスの記憶というのは、多くの場合、もやっとした、しかし、非常に強い負の「感情」から構成されていると思うのですが、

書き出す作業の過程で、言葉により客観化されるため、「感情」自体が整理・縮小していってしまいますので。

勿論、肉親や可愛がっていたペットを失った時の記憶などは、そんな風に整理しない方が良いと思うのですが、

例えば、学校や会社で辛いことがあった等といったことは、なるべく早めに整理して、三年日記に放り込んでしまった方が良いと思っています。

では、次回は、特に三年日記を付け始めた頃、認識していたメリットについて、書いてみたいと思います。

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