ウイグル人に初めて会った時のこと
1986年の夏、大学一年の時ですが、上海からウルムチまで「電車」で行ったことがあります。
「電車」とかぎかっこを付けたのは、電車ではなく、7割方ディーゼル機関車、残り3割は蒸気機関車が引っ張っていたからなのですが、
この、今では考えられないくらいゆっくりした「電車」が、84時間かけて、上海からウルムチまで走っていて、
その「硬座」という、単なる板といってもよい座席が並んでいるだけの最低ランクの切符を買い、そこに、座席券すら買えない人が通路に溢れ、という中、上海を出発したのですが、
始めのうちは、同じ東アジアの人間といっても、当時の中国人とは全く異なる身なりの人間がいる、というので、私の周りには、かなりの緊張感が漂っていたのですが、
そのうち、私の前に座っていたおじいさんが、私に向かって、大きな声で叫び出し、おじいさんが叫ぶたびに、周りの人が大笑いする、ということが起こったので、
何だろう、と、おじいさんに筆談で、何を言っているのか、聞いてみると、「天皇陛下万歳!」と書いてくれたので、
なるほど、そういういことだったのか、と思ったのですが、
特に私に敵意が向けられることはなく、むしろ、これをきっかけに周りの人達と打ち解けることができ、時々、立っている人と席を変わったり、夜は、おじいさんが床の上に新聞を広げて寝てくれ、私には、座席に横になって寝ろ寝ろとしつこいくらいに言ってくれたりしたのですが、
そんなこんなで、上海、南京、徐州、西安、蘭州と電車が走り続け、万里の長城の西の端の、砂漠の中に土が盛り上げられただけの「構築物」が、延々と続くのを見て、としているうち、
3日目の昼過ぎ、電車は新疆ウイグル族自治区の最初の駅、ハミに到着し、ここで初めて、ウイグル人が電車に乗ってきた訳です。
私の座っていた座席にも、3人のウイグル人の男性が乗ってきて、
ウイグル人の見ためは、西洋人のような人から、モンゴル人にむしろ近いような人まで様々だと後で知りましたが、
その時に乗ってきた人は、どう見ても西洋人としか見えないような人で、大柄で、胸板も厚く、
更に、中国語とは全く異なる言葉を話していたため、
私だけではなく、電車内の「内地」から来た中国人にとっても衝撃だったようで、電車内は一瞬にして静まり返ってしまい、
3人の中の一人が、アーミーナイフのような大きなナイフを取り出した時には、緊張感が極限に達したように感じられました。
結局、彼はスイカを取り出し、そのスイカをナイフで切り分け、周りの中国人に振舞ってくれた訳ですが、
その後、そのウイグル人と中国人は、私の時の様に緊張感が解けることなく、終点のウルムチまで電車は走っていきました。
私自身は、その後、ウルムチやトルファンなどを回り、旅行者の私に、ウイグルの人達がフレンドリーに話しかけて来てくれたりしたので、その時の印象だけが残っている訳ではないのですが、
あの時のウイグル人と中国人の間の緊張感はやはり、強烈な印象として残っています。
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