精進料理に目覚める3歩前#70 マナニウメボシ
『ひ弱』とは
『脾弱』で
【胃腸を含めた消化器全般が弱い状態】である
でそのヒヨワである事を毎度毎度懲りずに忘却の彼方へと葬り去るのがワタクシである
そして
毎度毎度
なんだかどうもお腹がスッキリしないような
などとぼんやり思い始めたらもう超特急で
あっという間に
お腹の中で激しい雷鳴が木靈する
ここぞとばかりに鈍感力を発揮して居るワタクシはそんな状態であってさえ暗雲の中で着々と活動をしている音源を探し出せずにポカンとしたままのんびり雪隠に立て籠もる
こんなにも激しく音を立ててSOSを求めているのにちっとも解に辿り付かないワタクシに痺れを切らした第2の脳である腸はのんびりと思考中のアタマの方の脳へとここ数日の食生活を振り返るよう命令する
そこまで真っ直ぐ答えへの道順を立てて貰って漸く脳はどうやらここ数日クチにしていないものがある事に氣づく
そう言えば『梅干し』を食べていない
脾弱いワタクシの消化器には大事件である
まあ良くぞ毎度毎度ひ弱である事をスコンと忘れ去って腸にSOSを大音量で轟かせトイレとお友達になってもなお
なんでお腹がもぞもぞするのだろう?
などとのんびり構えて居られるのか
ワタクシの持ち歩き梅干しが空になってから拝読した原田マハさんの小説『あなたは、誰かの大切な人』の中の“緑陰のマナ”に於けるマハさんの梅干しの描き方の美しさに度肝を抜かれたばかりであるのに
その温かい描写と自身のハラが結びつかないところがなかなかにオメデタいワタクシの第一、第二の両脳である
マハさんの小説を『サロメ』『リボルバー』『モダン』とカタカナと英文的な棒の中に入る説明のリズムに悪戦苦闘しながら時代も文化も未知なる世界観に圧倒されてふわふわヨロヨロになりながらもマハさんの魅せてくださる世界は
これまでゲンシハンシャさんに強力に抑えこまれて来た視機能と本へと手を伸ばさずにひたすら迂回を選ぶしかないと思い込んで来た引きこもりがちな右手をも
どこまでも広がっていく文字の海や未知の色やカタチに溢れるアートな世界へと誘い出してくれている
過去の実体験にバチっとスイッチを入れ換えて魂がガタガタ震え出す方向に舵を切って辿り着いた景色はひたすら安心感に包まれていて懐かしさに満ち満ちたものである
緑陰のマナの中のその景色は
緊張によってお腹の調子を崩しやすい子どもの頃の主人公の口へと母親からお手製の大きな梅干しがポイっと放り込まれ その梅干しの酸っぱさに主人公が反応して母親が氣持ち良く笑う
この梅干しの想い出描写の舞台は和歌山である
この梅干しは大きな瓶に入って主人公が大人になって一人暮らしをする東京へ
そしてそこから更にタッパーに移って主人公の旅先であるどんな僻地へも胃腸のお守りとしてお供してくれる
梅干しを作り続けてくれた母親が亡くなって残り僅かとなった梅干しはそれでも主人公の最後の御守りとして共にトルコに辿り着いてそこで旧約聖書のマナと結ばれていく
『マナ』
奇跡の食べ物として旧約聖書に登場する白く甘いそれは荒野で飢に苦しむイスラエルの民の救いを求めるモーセの祈りに応えた神が天から与えたとされていて そのおかげで人々は40年間飢えずに生きられたんだとか
白くも甘くも無いけれど主人公を40年以上守り続けて来てくれた梅干しは主人公にとってはマナに値する食べ物である
と
どうやらワタクシは土地にも文化にも時代にもその背景に無意識で定規を当ててゴリゴリ線を引いてマハさんの小説を読み進んできたようである
描かれているのはその個人を守ってくれる食べ物という点に於いての“マナ”である
ふむ
どうやらワタクシの脾胃もこの緑陰のマナに於ける主人公同様に“マナ”に梅干しを求めて居るようである
とはいえワタクシのワガママボディのヒヨワな脾胃である
マナとなり得る梅干しには条件があるらしい
梅と紫蘇と塩
これ以外のものが入って居る梅干しが脾胃に辿り着いてしまうと途端にワガママボディはその臍を曲げてしまう
この大添加物時代に於いてワタクシはスーパーや商店や道の駅や物産館へと大海原を渡り歩いて迫り来る腹痛のビッグウエーブに半ば溺れながら大航海を強いられるのである
ああ もうひと袋多めにお氣に入りの月ヶ瀬の梅干しを買っておけば良かったなどの大後悔も毎度のこととして憑いて回る
お氣に入りの梅干しが置いてあるお店が分かるエリアにいる場合はコウカイはそこそこで済むのであるが
今回は予想外エリアでのダイコウカイである
脾が弱るということは食べ物経由で頂けるハズの“地の氣"が上手く頂けないと云う事態に繋がって行く
となるとワタクシにべったりと憑いているこのお方が勢いを増してワタクシのカラダの支配を強めて行くであろう
キキョさん
クチビルもチョウ不調と主張し始める
胃の不調を上唇に
腸の超絶不調を下唇に
その皮をベリベリに創作して不調を表現していく
更にキキョさんが支配を強化しているワタクシのカラダに便乗してやって来るのがスイタイさんである
ただでさえキキョさんに動くエネルギーを奪われて居るのに更にスイタイさんが脚をブクブクに浮腫ませて重くのしかかる
キキョさんとスイタイさんをお供に憑けたワタクシはぶよぶよに要らない水を溜め込んで重くなっている足をなんとか引きずりながら
添加物の大海原で溺れかけのコウカイをして塩と紫蘇にその純粋さを護られている梅干しの元へと辿り着く
焦らず先ずは原材料の確認である
“マナ”となり得る条件を満たしていらっしゃる
お迎え決定である
ひとつだけでは心許ないので安心を得られる2壺お迎えしよう
表面の塩がキラキラ輝いて美しい
口に飛び込んだワタクシの“マナ”である梅干しはあっという間に胃袋のもぞもぞを取り除いて腸に響き渡っていた轟をピタリと止める
仕事が完璧過ぎる
毎日何となく口に放り込むルーティンにしてしまうと梅干しがこなしてくれているその仕事ぶりが完璧過ぎて脳も腸も胃袋もヒイヒイせずに済んで居る凪にありがたさを素通りしてしまっていたのである
脾胃がヒイヒイ騒ぎ出してもうどうにも手に負えない状況になって漸く梅干しがもたらしてくれている日常の安定感を思い知るのである
果肉だけが働くのが梅干しではない
果肉はとっとと消化器は向かい口の中に残った種がゴロゴロと口腔内を巡回してくれる事で唾液サポートが始まるのである
梅干しの種にコロコロと口腔内を数時間転がって貰えばお腹のモヤモヤや2日酔いもスッキリさせて頂けるのである
梅干し種コロによる唾液サポート
とことんその恩恵に預かっている事を思い知った上で 以前キキョさんとの闘いの時に味方になってくれて居る事を知った梅を改めてもう一度褒め称えてみようじゃないかと思いつく
キキョさんに憑かれてお腹の弱いワタクシのマナとなってくれる要素満載である
マハさんの小説の海へと飛び込んで未知の色や風景を堪能しているワタクシは『キネマの神さま』をちょうど読み終えたタイミングで
写真を使ってくださった方のnoteに紹介されていたマンガ『海が走るエンドロール』に出逢う
なんだか映画との関わりを描く物語へのご縁を感じて手を伸ばしてみたところすっかはまり込んで途中で登場する金属さんにニヤニヤしながらイッキ読みしてしまった作品である
65歳を過ぎ夫と死別したうみ子さんが数十年ぶりに訪れた映画館での出逢いをきっかけとして自分は「映画が撮りたい側」の人間なのだと氣付いて美大に通い映画づくりを学んでいく物語
このマンガの中で一晩中海風に当たってカラダの冷えたうみ子さんが『梅醤番茶』を作ってじんわり温まっている
うみ子さんレシピの梅醤番茶は
マグカップに梅干し一粒と醤油を2滴入れてお番茶を注ぐものである
手間をかけずにパパッと出来るので冬のカジカンダ手でも出来るベーシックレシピである
因みにヨウジョウの本に紹介されて居るレシピだとここにカラダを温めてくれる生姜の搾り汁が加わって居る
ワタクシが婆さまに生姜湯だと言われて子どもの頃飲んでいたものはそこに更に刻んだネギが辛味と温かさを追加している
今あるもので梅醤番茶を作っていこう
お茶は冬の味方茶色いお茶のほうじ茶で
生姜は持ち歩き用の生姜パウダーで
醤油は湯浅のパウダー醤油を
寒さでぼんやりした脳は無意識のうちに欲張ってカップに梅干しを2個も入れている
ズビズビと茶を啜りながらカラダの隅々までじんわり温かさが行き渡るのを実感してカップを空にする
子どもの頃から夏の暑さにグッタリした脾胃を冬の寒さに活動を奪い取られそうな脾胃をずっと護ってくれていた記憶を叩き起こしてくれた梅干し
どうやら脾弱なワタクシもマハさんの小説の主人公同様に赤くてしょっぱい梅干しをマナにしているようである
お米のお供として日の丸を作り出す事の出来る梅干しは台所の床下ではなくて少しだけでも神棚の隣にいて欲しいなどと妄想してみる
いつかこのドタバタ生活を抜け出る機会があれば
神棚のある家で
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