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♯003 何が「流行」で「不易」か、どれが「本質」で「現象」か。

やっと“zoom”や“Google Meet”を使ったミーティングにも慣れつつある今日この頃。コロナ前よりもユビキタスネットワークが常時フル活用されていることを実感する毎日。

loTの実用化や次々に登場するウェアラブルデバイスも、そんな生活の後押しに加勢しています。朝起きて寝るまで、いや、人によっては寝ている時でさえ、もはや私たちがオンラインに接続されない瞬間は無いといっても大袈裟ではなくなりました。

一般論でいえば、生活を便利にしてくれたり、表現の幅を広げてくれるテクノロジーは能動的かつ積極的に取り入れるべきだと思っています。

しかし、そんな自分に、“新しいものにこそ懐疑的であれ”、そして、“何にも捕らわれてはいけない”といったマインドを強烈に再インストールしてくれた女性がいました。

それは、昨年秋に発刊したPLUG Magazineでインタビューさせてもらった現役大学生インフルエンサーとして活躍する老月ミカちゃんです。

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お菓子の「OREO」をこよなく愛し、“オレオちゃん”の愛称でも親しまれる彼女はアメリカ生まれの帰国子女。西武渋谷店のプランニングモデルやファッション関連のお仕事をいろいろとされています。最近では人気ブランドTEN BOXの秘書としても活動していました。

そんな彼女への取材当時。インタビューも終盤に差し掛かった頃、「これからの目標は」といったお決まりのような質問で締め括ろうとしたところ、間髪入れずに彼女から返ってきた答えは、

「SNSに依存したくないんです。インターネットが無くなっても価値ある人間でいたい。だから、雑誌というメディアには可能性を感じています」。

といった、自分には思いもかけない言葉でした。年中取材をしていても、全く予想外の言葉に意表を突かれる経験は、実のところそんなにありません。

彼女が世に知られるきっかけとなったツールとインフラを否定したことにも驚きましたが、「インターネットが無くなるかもしれない」といった発想そのものができていなかった自分には、この言葉が極めて鮮烈に響きました。

ベンチャー企業の多くがITとWEBに凝集され、あらゆるメディアやコンテンツがインターネットに移行する、とにかく猫も杓子もネットの時代。しかし、何らかの理由でオフラインになってしまえば、当然のことながらそこにあるはずの全ては途端に完全なる無と化してしまいます。

私たちはコロナ禍によって、それまで当たり前だったことが突如として困難になり、強制的なライフスタイルの変容を経験したばかりです。オンラインにもいつ何が起きるかわからない、という意識は備えておく必要があるかもしれません。

同じ掲載号では、ANREALAGEデザイナーの森永邦彦さんにも「捨てられないもの」という企画でインタビューさせて頂きました。そこで紹介してくれたのが、いまでもご自身に新しい発見を与えてくれるという雑誌「ジャップ」です。

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「徹底的なクリエイティブで作り込まれたものは、時代を経ても褪せることなく、人に何かを与えることができる。これは雑誌でも洋服でも全てに共通する普遍的な真実だと思います」。
PLUG magazine  vol.53 
森永 邦彦(ANREALAGE デザイナー)

写真家の伊島薫氏が編集長を務め、「理想の追求と実験の場」と語るに偽りのないエッジの効いた内容が収載されています。11号からは誌名が「Zyappu」となり、全ての日本語の文章がローマ字表記になっているあたりからも、いかに実験的かつ挑戦的な内容か想像してもらえるのではないでしょうか。

自分は勉強不足で、このとき初めて「ジャップ」の存在を知りましたが、ページをめくるたびに読者の創造力とインテリジェンスを駆り立てるような、極めてファンタスティックな雑誌でした。

94年に創刊され、季刊で21号まで発行されましたが、出版元の倒産により現在は休刊しています。

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いま、こうしたインディペンデントなスタンスを貫く傑出した雑誌が続々と廃刊を余儀なくされています。一方で、何かに迎合しながらも商業的に成功できたものが存続するのは雑誌に限った話ではありません。しかし、数十年後に本当の評価が見出されるのは往往にして前者ではないかと思います。

なぜならば、出版物の中には、その機能を変換され、部屋のインテリアに貶められてしまうものさえありますが、「ジャップ」のような雑誌はその働きを失わず、創刊から26年たったいまもトップランナーに影響を与え続けているからです。

洋服や家具などにも、当時を凌ぐ価値を認められたヴィンテージやアンティークと称されるものがありますが、ただ古いというだけでは、そこに値打ちはありません。

これらに共通しているのは、無機質無形の電子データではなく、朽ちながらも時代を超越する確かな力、人の心を揺さぶる何かを宿した「カタチあるもの」だということです。

雑誌専門の古書店めぐりは自分の趣味のひとつですが、数十年前の流行や服飾、風俗をいまに伝えるものや、無名のクリエイターによるほとんど流通しなかったようなフリーペーパーなど、ハッとするようなインスピレーションを与えてくれる稀少な出版物に遭遇することがあります。AIなどにレコメンデーションされたものではなく、オフラインだからこその偶発的な出会い。ブラウジングでは拓かれない世界がそこにはあります。

このまま懐古主義的に、ネットショッピングより実店舗が良い、MP3よりレコードが良い、電子書籍より紙の本が良い、といった安っぽい比較をするつもりはありません。

ただ、何が「流行」で「不易」かどれが「本質」で「現象」か

身近なモノやサービスの真価を捉えるリテラシーを鍛え、見極めること。こうした習慣こそがリベラル・アーツであるように思います。

たくさんの記事の中から私の《note》に目を留めてくださり、貴重な時間を使って最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m

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