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♯006 POSTSCRIPT 《ナガシマ》

2020年10月22日、55冊目となるPLUG Magazineの最新号を発刊しました。

※電子版は無料公開しておりますので上記Linktreeからご覧ください。
※PLUG Magazineについてはnoteのプロフなどをご覧ください。

今号の巻頭特集は「ナガシマ」、そして、テーマは 「INFECTION - DISCRIMINATION(感染症と差別)」です。

センシティブな題材なだけに誤解のないよう言葉でいろいろと埋めたいところではありますが、できるだけ文字を削り、パラパラと流し読みされたとしても、ここから何かを感じ取ってもらえるような構成にしよう。

そんなことを考えながらフォトシューティングを行い、編集しました。

とはいえ、いざ発刊してみると、もっと伝えたかったことや説明があまりに足りないなと思うところがたくさんあります。

そこで、なぜ今回こうした特集を組んだのか、どんな編集にしたのかといったことを経緯も含めて少しだけ紹介させていただきながら、PLUG Magazine本誌を読んでいただく際の追補として、即席ではありますが編集後記を書かせていただきます。

制作当初、コロナ禍以後もきっと日常必須なアイテムになるであろうマスクを軸にした企画を巻頭特集に据えようと考えていました。

こちらは既存のスナップページに企画として落とし込み、岡山のアパレル販売員さんや美容師さん、経営者の方などにマスクありきのコーディネートでファッションスナップをお願いして実施しています。

また、岡山のファッションブランドや繊維メーカーさんなどが開発したマスク等を紹介するページも設けました。

コロナ禍でも、ポジティブにファッションを楽しんでもらいたい、また、地元発のマスク関連製品を知ってもらいたい、そんな企画となっています。

たくさんの方にスナップ撮影や素材提供などにご協力をいただいたおかげで、自賛ですがリージョナル誌として良い誌面になったかなと思っています。

本来であれば、この企画に新たな意匠撮影などを加え、巻頭特集としてボリュームを持たせる予定でした。

しかし、一旦はそう決めたものの、本当に今回の特集がこれだけでいいのだろうかという心の声がずっと頭の中をぐるぐると巡っていました。

今号では東京など県外への取材活動を控えることにした為、著名人に自身の地元を語っていただく“LOCAL PRIDE”や岡山出身者で全国で活躍される方を紹介する“THE OWN WAY”といった連載企画も制作できません。

数年ぶりに岡山のみのコンテンツで雑誌作りをするという状況が訪れたいま、いったい何をすべきだろうか。

地方発信の雑誌で、自分たちのような小さなメディアがいまどんなことを伝えるべきなのか。

タイムリミットのギリギリまで考え倦ねていました。

また、自分自身の問題として、コロナ禍によって顕著に姿を現した身近にはびこる差別や分断、社会や政治に対する憤りをどのように処理すればよいのかということにも悩んでいました。

いまのままでは、編集者の端くれとして何かに言及するのを避けた逃げのようになってはいないだろうか。

そんな迷いと葛藤を抱えていた7月の後半。

妻と一緒に岡山県南東部の「長島」に初めて訪れることにしました。ここはかつてハンセン病患者の強制隔離施設であった離島であり、負の歴史を背負った場所です。

ハンセン病とは、らい菌と呼ばれる細菌に感染することによって皮疹や末梢神経障害を引き起こす病気。初期症状は皮膚に現れる白または赤・赤褐色の斑紋です。治療をせずに放置すると身体の変形を引き起こし障害が残る恐れもありますが、初期に治療を開始すれば障害も全く残りません。ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。現在は開発途上国を中心に発症者はいるものの、日本では年間数人程度しか新たな発症者はいません。日本ではかつてハンセン病患者に対する強制隔離など不当な偏見・差別や人権侵害が横行しており、いまだに社会的な問題を抱える患者や家族も少なくありません。現代では特効薬も開発されており完治する病気ですが、ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無にも拘わらず、社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れから、何千万人もの回復者およびその家族までもが、ハンセン病に対する偏見に今なお苦しんでいます。

恥ずかしながら、ハンセン病という病があったことや、それに関係する訴訟などがあったこと、岡山に長島愛生園という療養施設があるということぐらいはぼんやりと知っていましたが、ここを訪れるまでは詳しい経緯や知識など全く持ち合わせていませんでした。

しかし、妻と一緒に島内の史跡を散策し、学芸員の方の解説を伺いながら歴史館の展示を見学する中で、長島が日本における差別と感染症を象徴する場所であることを痛感させられました。

館内の展示は光と闇というテーマで構成されており、収容されたひとたちの絶望や差別への苦しみとともに、それでもこの島で懸命に生きた方々の当時の生活を垣間見ることができます。

ここで隔離生活を強いられながらも、芸術や文芸を拠り所にその才能を発揮した人がいたことも知りました。

この時に出逢ったのが、ハンセン病の歌人 明石海人の詩集「白描」の序文です。

癩は天刑である。
加わる苔の一つ一つに、
嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、
私は苦患の闇をかき捜って
一縷の光を渇き求めた。
-深海に生きる魚族のやうに、
自らが燃えなければ何處にも光はない-
さう感じ得たのは病がすでに
膏肓に入ってからであった。
齢三十を超えて短歌を學び、
あらためて己れを見、
人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、
また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦澁をその一首一首に放射して
時には流涕し時には抃舞しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱れて人の世を知り、
骨肉と離れて愛を信じ、
明を失って内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった。

明石海人「白描」 序文
※当時、ハンセン病のことを「癩」、「癩病」、「らい病」と呼んでいた。

ガラスケースの内に見開きで展示されている朽ちた冊子、この原本の一部に綴られていた序文の言葉に心を揺さぶられ、気づけば何度も何度もその場で読み返していました。

映画「戦場のメリークリスマス」などで知られる岡山県玉野市出身の映画監督 故大島渚さんは座右の銘にこの序文を挙げており、サインを求められると「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」の一文を添えられていたそうです。

明石海人の生家は経済的にも恵まれており、師範学校を卒業後は小学校の教員となり、結婚して長女と次女をもうけ、順風満帆の人生を送っていました。また、長身の美男子で博学でもあったようです。

しかし、ハンセン病を発症したことにより、教職を辞し、家族とも別れて療養所で終生の隔離生活を余儀なくされることになりました。

1932年、長島愛生園に入所。入所後は精神錯乱に陥りますが、歌人でもあった医師の指導のもとで短歌を学び始めます。

しかし、病の進行によって視力を失い、その後は気管切開手術を受けて声も失いました。以後は指で文字を書き、他人に代筆してもらいながらの創作活動を続けたそうです。

そんな明石海人の死の直前に刊行された「白描」は、死後の1939年に大ベストセラーとなりました。

このハンセン病文学の代表作との出会いが、「感染症」と「差別」、そして、「長島」と「明石海人」を巻頭特集の柱にしようと決めた瞬間です。

これが岡山からいま発信すべきことだ、やっと自分の中で何か確信めいたものを得ました。

過去に学びながら差別と向き合う機会を作るべきだ、長島という存在をたくさんの人に伝えなければならない。

白描を読み返すたびにそんな使命感に駆られました。

それから、どのような誌面にしていくかを仲間で何度も話し合いました。

小学生の道徳の時間かのように、「差別とは何か」について編集部でディスカッションを重ね、ハンセン病の歴史を調べ、明石海人の文献を読み漁り、長島にも幾度と足を運びました。

しかし、急遽持ち上がった企画ということもあり、締切までの時間もありません。実は自分たちが本当に納得のいくところまでは詰めきれていない、これが正直なところです。

それでも、私たちがつくった雑誌を手に取ってくれた人に何か響くものを届けようと、限られた時間の中で自分たちなりのアプローチを考えました。

今回の企画を誌面化する上で、大切にしたのは「客観」と「ドキュメンタリー」です。

自分たちが調べた情報を専門書のように作り込んで解説するのではなく、かといってガイドブックのように平凡な紹介で終わらせたくもない。

そこで、まだ長島を訪れたことがないというカメラマンさんと一緒に島内の史跡を巡りながら、彼の自由に、感じたままにシャッターを切ってもらいました。

掲載誌面では、彼が撮影した写真に最低限の解説を加え、そこに明石海人の短歌を添えています。

彼の写真を今回の企画の「眼」とするならば、明石海人の短歌が「声」であり、「長島へ偶然に赴いた者」と「長島に強制収容された者」のコントラストによって読者へありのままを訴えかけられるのではないか。

そうすることで、中途半端に知った気になってしまった私たちの意図を介在させることなく、虚構のない表現ができるのではないか。

巻頭特集の大半を占めるページにはそんな思いをしのばせています。

表紙には、入所者にとって社会や家族との別れとなった患者収容桟橋を降りてすぐの岸壁に群生する植物と、入所してから最初の一週間を過ごす「回春寮」と呼ばれる収容所の窓から瀬戸内海と桟橋を望む景色をコラージュしています。

現在は駐車場が整備されてはいるものの、当時、長島に降り立った入所者が隔離生活の最初に目にしたであろう風景、当たり前の日常との境界線を配しました。

巻頭特集の最後では、7名の方に「差別とは何か」というテーマで寄稿文をお願いしました。

まずご依頼したのは、当時厚生労働大臣で、現在は内閣官房長官である加藤勝信さん。過去にも小誌に何度もご出演をいただいてはいますが、今回はハンセン病に関係する問題を所管する厚生労働省のトップとして言葉をもらいたいと思いながらも、正直難しいだろうと勝手に諦めていたところをご快諾くださり、本当に有難い気持ちでした。

そして、今回の企画全編に渡ってご協力をいただいた長島愛生園歴史館の主任学芸員の田村朋久さん。20年以上もハンセン病問題に携われている専門家で、現在は長島愛生園の世界遺産登録に向けてもご尽力されています。

他にも、医学者、教育者としての見地から岡山大学長の槇野博史さん、医療ケア児や育児支援を行っている看護師の吾浦恵美苗さん、岡山出身者で世界のコレクションのランウェイでも活躍するモデルの神原むつえさん、岡山を代表する文化人である能勢伊勢雄さん、岡山でもスクールを開講していたダンサーのCebo Terry Carrさんという異なるバックボーンを持った岡山にも結びつきの深い7名に言葉を寄せてもらいました。

皆さんにいただいた寄稿文を読んでいただきながら、読者さん自身の「差別とは何か」を考えてみてもらえればなと思っています。

そして、この企画の中で、私自身も「差別とは何か」について拙稿ながらメッセージを書かせていただきました。

差別とは、手段であり武器である。

「ダメ!コロナ差別!」という見出しのポスターに、何とも言い難い違和感と心地悪さを覚えました。私たちは、いまだこんなにも当たり前のことをわざわざ掲示しなければならないのか、と。しかし、見方を変えれば、この一枚のポスターが、社会には差別があるという厳然たる事実を明らかにしているといえます。いつまでたっても無くならない、この差別なるものを、ただ否定するだけで良いのだろうか。この時、自分はそんな訝しさの輪郭を見たような気がしています。

COVID-19の流行によって錯綜した2020年。

流布される真偽不明の情報に、社会が動揺を引き起こされるインフォデミックと呼ばれる状態は、ウイルスそのものの脅威を凌ぐほどの混乱と、コロナという新たな差別を生み出しました。

感染症に限らず、人種、身分、職業、階級、学歴、LGBTなど、それぞれの差別を無くそうという運動がなされてはいるものの、依然として「その気持ち」はたくさんの人間の内側に巣食っています。

なぜ、差別は無くならないのか。
なぜ、差別をしてはいけないのか。
なぜ、差別はダメなのか。

この疑問に向き合うため、自分たちは岡山県の南東部にある長島を訪れました。
ここには、かつてハンセン病患者の強制隔離施設があり、たくさんの人生を奪い去った負の遺産が残っています。光彩陸離たる風景からは想像もできませんが、長島は日本における感染症と差別の歴史を象徴する場所のひとつでもあるのです。

島内の史跡や資料館の展示を巡れば、過酷な収容所生活を強いられた人々の苦悩や悲しみといった深淵なる闇と同時に、そんな境遇にあっても懸命に生きた人たちの光る姿が浮かび上がってきます。彼らは艱難辛苦と闘いながら、文化や芸術を拠り所として多くの作品を残しました。なかでも、彼らの綴った数々の短歌は、私たちには計り知れない心情をまざまざと語りかけてきます。ハンセン病の大歌人 明石海人の詩集「白描」にある「天刑」で始まり「天啓」で終わる序文には、その苛烈さに魂を揺さぶられました。

彼らを強制隔離するという政策が間違っていたことは誰にも否定できません。しかし、当時の時代背景や医学水準、社会状況などを総合的に判断すると、現在という高みから全面否定することはできないという見方もあります。隔離を主導した人たちが必ずしも禍々しい敵対心を抱えていたとは断言できないとすると、差別と悪意を同じものと捉えるべきではありません。

治療法が確立し、癩予防法が廃止され、長島に人間回復の橋と呼ばれた邑久長島大橋が架かった後も、ハンセン病患者への差別や偏見は消え去りませんでした。いまでも、忌避感を拭えていない人は少なからずいます。法律を正し、啓発を続けても、差別は完全には無くならない。長島を訪れたことで、痛烈にこのリアリティを感じました。
私たちは未知のもの、異形のものを意図せず拒否してしまいます。しかし、これを差別だと断罪して悪しきものだとすることはできません。なぜなら、私たちは聖人君子ではなく、人間だからです。「差別はダメだ」という言葉は欺瞞に満ちており、真実を覆い隠しているに過ぎません。

「差別とは、撲滅すべきものであると同時に、肯定せざるを得ない人間の業である」、本稿ではあえてそう述べたいと思います。

求められるべきは、差別という行為が、他者を分断して自らを保身する手段であり、誰かの人生を奪うほどの武器であることをきちんと認識することです。私たちの指先は、片時も離れることなく、その武器の引き金に掛かっています。皆が同じ武器を持ち、それを自制しているにも関わらず、SNSをはじめとするインターネット上などで、緊張感すらないままに武器を乱射している人たちの言動には、責任感を欠いた痛ましさを感じずにいられません。スケープゴーティングに取り憑かれてしまった彼らの無自覚こそ、秩序を破壊する悪だと見なされるべきでしょう。

無知が引き起こす恐怖心によって、私たちはしばしば揺れ動きます。
だからこそ、他者を理解することに努め、情報を咀嚼しなければなりません。
その上で、貴方は本当に引き金を引くのか。この決断には熟慮と覚悟が必要なのです。

人類の歴史は人権獲得の歴史でした。それはいまも続いています。ハンセン病の歴史、長島の光と闇から学びながら、いまこそ差別と真正面から向き合わなければなりません。コロナを天啓にできるか否か、それは私たちに課せられた未来への命題です。

PLUG Magazine編集長 山本佑輔

さて、今号が差別という問題を提起しようとしていながらも、考察や切り口、表現が甘いということは十分に理解しています。

また、冒頭で述べたように、ハンセン病の歴史や明石海人などについて、この編集後記でも、本誌の中でも、あえて深くは解説していません。

それは、すでに述べたような意図がありつつも、私たちがこの島で感じたことがあまりにも複雑で、言語化も視覚化もしきれなかったということに尽きます。

それでも、本誌から何かを読み取ってくださった方にはぜひご自身で長島を訪れていただき、音楽を腹で聴くように、ここで私たちが感じたことを同じように体感してもらいたいと願っています。

その実体験は、きっと人間にとって大切なことを強烈に再インストールしてくれるはず。

本誌がひとりでも多くの方に、差別に対する学びと考えを深めてもらえるきっかけとなれば嬉しいなと思います。

※見学は要予約 - 長島愛生園 TEL.0869-25-0321
※島内には現在も入所者の方が生活していらっしゃいますのでご迷惑にならないよう島内の散策にも事前のご連絡をお願いします。

出演者の皆様、応援くださるご掲載企業の皆様、カメラマンやライターの皆様、たくさんの方々のお力添えをいただいて発刊できた一冊。

巻頭特集以外にも、地元の人やお店の紹介、企業の情報など、岡山のリージョナル誌ならではの企画編集を詰め込んだ212ページをぜひご覧いただければ幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございましたm(_ _)m

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