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犬牽と行く美術館・博物館➀太田記念美術館『江戸の土木-橋・水路・ダム・大建築から再開発エリアまで-』2020/10/10~11/8

この記事は、犬牽の目線で美術館・博物館の展示物を解説していくシリーズです。

〇はじめに

 まず本題に入る前に、はじめて〝犬牽(イヌヒキ)〟という単語を見た方のために説明をしておきましょう。
 そもそも犬牽とは江戸時代に活躍した幕府直属のドッグトレーナー集団、鷹狩専用の猟犬である〝鷹犬(タカイヌ)〟や幕府儀礼に登場する通称〝芸能犬〟の飼育を担当していました。
 犬の権利を尊重する先進的な飼育を心掛けていた犬牽でしたが、江戸幕府の終焉と共に継承がストップ。残念ながら、歴史の表舞台からは姿を消しました。
 そんな犬牽を当時の伝書を元に復元したのが、私の主催する〝山政(ヤママサ)流〟です。自身で犬牽の業務を引き継ぎ、当時の飼育法をドッグトレーニングとして講習する活動などを行っています。
 更に詳しい内容については、私の記事【江戸のドッグトレーナー〝犬牽〟とは?】をご参照ください。
 では前置きはこれくらいにして、犬牽と共に美術館・博物館を巡るシリーズ第1回目は太田記念美術館です。

〇太田記念美術館『江戸の土木-橋・水路・ダム・大建築から再開発エリアまで-』

 太田記念美術館は山手線の原宿駅(表参道口)と、千代田線/副都心線は明治神宮前駅(5番出口)より徒歩5分程度の場所にあります。

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 都会の喧騒から外れた脇道のちょっと先に建つ、太田記念美術館。
 入口は小さく薄暗く、まるで鍾乳洞に分け入るような素敵なドキドキ感があります。
 そんな太田記念美術館にて、今回は『江戸の土木-橋・水路・ダム・大建築から再開発エリアまで-』が開催中。

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 土木=道路・河川・橋・湾岸の建設工事によって発展した江戸。
 工事の様子や完成した風景を描いた浮世絵からは、当時のエネルギッシュな空気感が伝わってきます。
 そんな浮世絵をジ~ッと見つめていれば、あちらこちらに犬の姿が。
 今回はそんな犬たちを犬牽と共に見つめながら、新たな魅力を浮世絵から浮かび上がらせていきましょう。
 ちなみに館内は撮影禁止なので、知り合いに犬の部分だけを模写してもらいました。実物の展示品が気になる方は、是非現地まで!

〇歌川広重『江都名所 しん橋の図』天保後期(1830~44)

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 さて、1作目は歌川広重作『江都名所 しん橋の図』です。
 今では港区の町名として大変有名になっている新橋ですが、そもそもは汐留川にかかる橋の名称でした。
 歌川広重の浮世絵では、そんな新橋を渡ってきた大名行列を描いています。
 その行列をジッと見つめる犬が1匹。
 短い尻尾は股の間に入り、右前脚を上げていますね。
 そもそも犬が尻尾を引き込む、そして前脚を上げるポーズは共に不安定な精神状態を表していると考えられています。
 そのため、この犬は行列に対して不安な気持ちを抱いていると推測されるでしょう。
 でも、なんで犬がこんなところに?
 現代を生きる皆さんは、きっと野良犬か何かだと思うかもしれません。
 しかし、答えはちょっと違うのです。
 そもそも江戸時代に野良犬は少なく、ほとんどが〝里犬(サトイヌ)〟と呼ばれる犬たちでした。
 里犬とは特定の飼主を持たず、地区全体で食べ物や寝床が提供される犬たちのことです。
 そのため、里犬は人間に対して攻撃性が低くなる傾向にありました。
 また犬牽は鷹犬や芸能犬にするため、里犬の中でも更に友好性の高い個体のみを迎え入れるようにしていました。無理矢理捕らえて連れ帰るのではなく、自ら寄って来る個体のみを迎え入れることで犬の意思を尊重しようと考えていたのです。
 とすれば人通りの多い道を自由気ままにたむろするこの犬も、里犬と見るべきでしょう。
 しかし、そんな里犬も突然現れた大名行列には驚きを隠せなかったようですね。地区外からやって来た大勢の人間、何より巨大な耳かきのような〝毛槍(ケヤリ)〟を掲げてやって来れば、流石の里犬も尾を引っ込めて逃げ出す準備。犬が長い棒を嫌う傾向にあることは、現代でも同様ですからね。
 それでも、根本的には人に強い興味を持つ里犬。
 もしかしたら、この後チラチラ見ながら、大名行列の周りを闊歩していたかもしれませんね。

〇3代歌川広重『古今東京名所 筋違八ツ小路 昌平橋』明治16年(1883)

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 2作目は3代歌川広重による『古今東京名所 筋違八ツ小路昌平橋』。
 昌平橋は現在千代田区にかかる橋として知られていますが、元々は寛永年間(1624~1645)に架設されたことに端を発しています。
 そんな昌平橋の江戸時代の姿を描いた『古今東京名所 筋違八ツ小路昌平橋』ですが、またもや1匹の犬が。
 仕事中の子供が差し出す手に、犬は強い興味を抱いているようですね。
 このような子供と犬の組み合わせは、浮世絵に多々見られる題材です。
 ですが、不思議と取っ組み合っている構図が多いんですよね。
 例えば歌川国安『日本橋魚市繁榮圖』には、今にも無理矢理仔犬を持ち上げようとする子供の姿が。しかし、近くに座る親犬は別に気にかけている様子はありません。
 そして歌川国貞『卯の花月』には、初鰹売りに群がる女性たちの中に犬と取っ組み合う子供の姿が。こちらも、周りの大人が気にするような素振りはありません。
 つまり、これらに描かれている犬も人に対して友好性の高い里犬だったと見るべきでしょう。
 そして本作『古今東京名所 筋違八ツ小路昌平橋』では、子供も犬に対してソッと手を出す柔らかい動作をとっていますね。
 相手側の犬も強い興味、つまり里犬的な反応を示しています。
 なんとも微笑ましい瞬間ですが、実は犬牽も友好性の高い里犬を見出す方法として、里犬に食べ物をソッと差し出す方法をとっていました。
 怖がらすことなく、あくまでも犬側の意思とタイミングを尊重することで本心を汲み取ろうと考えていたのです。
 そう考えるとこの子供、案外犬牽に向いているかもしれませんね。

〇歌川広重『名所江戸百景 深川木場』安政3年(1856)

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 3作目は、歌川広重の浮世絵『名所江戸百景 深川木場』。
 江戸時代初期の深川は湿地帯でしたが、埋め立てが行われ元禄14年(1701)には木材貯蔵地である木場が造られました。
 そんな雪降る深川木場に、仔犬が2匹。
 赤毛と、灰毛の仔犬が。
 赤毛は尻尾を下に向けていますが、灰毛は逆に尻尾を上げ、更に右前脚がお腹の下に入ってしまっているように見えますね。
 そもそも前脚で相手を触る行為は遊びに誘う合図なので、勢い余ってお腹の下に入ってしまうほど強く手を出した灰毛のテンションが感じられますね。
 しかし赤毛は尻尾を下げ、そこまで興味がないようです。
 そんな仔犬の細かい動作/コミュニケーションを描いた『名所江戸百景 深川木場』ですが、驚きなのは歌川広重がその風景を観察できたという点でしょう。
 このぐらいの仔犬の側には、親犬が見張っているのが普通です。
 それも普通の野良犬ならば、長く観察するのは困難でしょう。
 つまりこの浮世絵も人間に対して攻撃性の低い、つまり神経質になっていない里犬だからこそ描けたと言えるのかもしれません。

〇歌川広重『名所江戸百景 猿わか町よるの景』安政3年(1856)

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 一方、4作目の歌川広重『名所江戸百景 猿わか町よるの景』には親犬の姿が。
 猿若町は現在台東区の地名として知られていますが、そもそもは中村座&市村座&森田座など歌舞伎劇場がひしめく地区。他にも人形芝居なども備わる、まるでアメリカはブロードウェーのような町だったのです。
 そんな人でごった返す夜の劇場地帯に、場違いな1匹の親犬と3匹の仔犬の姿が。
 仔犬たちは道の真ん中で遊んでいても、周りを気にしているようには見えません。
 それは周りの通行人も同じ、すぐ近くを歩く通行人は優しそうな目線で仔犬たちを見つめています。
 まさしく、当時の里犬と日本人の関係性を色濃く表す1枚と言えるでしょう。
 ちなみに、歌舞伎の演目に犬(を演じる役者)が登場することはほとんどありません。
 私も曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』しか知りません、他にも知っているよという方がいれば是非教えていただければ幸いです。
 でも、そもそも劇場を出ればそこには里犬たちの姿が。
 流石の名優たちも、すぐそこにいる本物には勝てないと考えたのかもしれませんね。

〇4代歌川豊国『東京府第一大区京橋銀座尾張街道煉化石造商法繁盛之図』明治6~10年(1873~77)

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 最後の作品は、4代歌川豊国による『東京府第一大区京橋銀座尾張街道煉化石造商法繁盛之図』です。
 なんとも、長い作品名ですね。
 こちらの浮世絵は、明治時代の銀座煉瓦街(明治5年(1872)に発生した火事により再建された煉瓦造りの地区)を描いています。
 そんな町に、洋傘をさしながらリードを握る男の姿が。
 服装からしても、外国の方でしょうか?
 そもそも江戸時代、犬牽を除けば犬にリードを付けるという行為はあまり見られません。
 しかし明治時代に入ると、海外から西洋のドッグトレーニングや飼犬文化が大量に入ってくるようになります。
 結果として都市部にはリードを付けた犬たちの姿が多々見られるようになり、里犬の数も減少の一途を辿っていくのでした。
 この浮世絵はまさしく犬牽も里犬もいない時代へ日本が突入していく、そんな風景をを写し撮った1枚と言えるのかもしれませんね。  

〇終わりに

 さて、いかがだったでしょうか。
 江戸時代から明治時代の土木、そして風景を見ていくと、そこで営われていた犬と人の関係性も浮かび上がってきました。
 今も江戸/東京という街は、どんどんその姿を変えています。
 それでも、どんなに姿形が変わっても、いつまでも犬たちとは優しい関係性を保っていきたいものですね。
 それでは、またどこかの美術館・博物館で。

▼更に詳しい内容や山政流・山政ドッグサービスにご興味をお持ちの方は、以下のホームページをご覧ください。

https://yamamasadogs.tumblr.com/

▼Instagramも毎日投稿していますので、興味がある方は是非。

https://www.instagram.com/yamamasa_dogs/

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