10月16日 金曜日「あなたのコメントが誰かを救う」

noteで「読書感想文コンテスト」が開催されている。課題図書も下記記事のなかで列記されていた。

こういうものが開催されると、身構える。

受かりたい、褒められたいという気持ちが膨らみすぎて、最初の一歩が踏み出せなくなる。課題図書選びでも、素直に興味がある作品ではなく、「ちょっと凝った感想文が書けそうかどうか」で吟味するようになる(その結果、たいてい勝てない)。

「仕事」についてもこの傾向があるのかなあ、と思う。

いつもどおりにやればいいと言われても、ひとたび「仕事」として「受注」することになると、身体がこわばってしまう。「ちゃんとやらないと」という強迫観念にかられる。たぶん責任を負うのがこわいのだ。

ライターの仕事は思いきりこの悪癖が出て、うまくいかなかった。がんばろうとしすぎて、まったくおもしろいものが書けなかった。アクセス数も稼げず、自然消滅した。ほっとしたし、あのプレッシャーをもう感じたくないので「ライター業はしない」と明言している。

このままでいいんだろうか、と不安になる。

同じような癖をもつ人たちを励ませる自分になれたら、いいのになあ。

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生まれてはじめて、noteで「サポート」をしていただいた。

あたたかいメッセージが添えられていて、そこには「まるで自分のことが書かれているように思うことがある」という旨も記されていた。

私は、私が書いているもの、日々発信しているものに何の意味も見いだせずにいる。2014年からブログを書き続けているけれど人気者になんてなれなかったし、お金も稼げなかった。

おもしろいと言ってくれる人はいる。でもその言葉をどこまで信じていいのか、鵜呑みにしたらどこかで笑われるような気がして、一線を引いてしまう。

でも「自分のことが書かれているようで」とコメントを寄せてくださった方の言葉はなぜかスッと胸に入ってきて、うれしいというか、「つながれてあたたかい」感覚になった。

今日だけは、「自分が垂れ流しているものは、誰かの役に立っているのだ」と自信を持って過ごすことにする。

私にマルをつけてくれて、ありがとう。

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