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乾杯ってめんどくさいけど

乾杯は苦手です。なぜなら「めんどうくさい」から。

暑気払い、忘年会、新人歓迎会といった宴席を想像してみてください。みんな「とっとと乾杯を済ませてしまいたい」と思っているがために、「最初の1杯だけはがまんして」と言わんばかりにピッチャーからビールを注ぐのです。ややぬるく、炭酸が抜けつつあるビール(という名の発泡酒という説もある)を好んで飲む人などどこにおりましょうか!

とはいえいまや「多様性の時代」「個を重んじる時代」ですから、あるていど自由に「1杯目のドリンク」をオーダーできるようにもなりました……と書きつつも、なんだかんだでなんとなくの暗黙のルールがあり、許されるのは烏龍茶、ハイボール、レモンサワーくらいかなという感覚があります。間違ってもカシスオレンジを頼んではいけない気がする! 「つぶつぶみかんいっぱいタピオカフローズンサワー」なんてもってのほか!

私は居酒屋さんで働いたことがないのでイメージするよりほかありませんが、「1杯目」はスタッフのみなさんにも辛いものであるはずです。「最初の1杯」が揃うタイミングが少しでも遅れようものなら激怒するお客様は絶対に存在します。

「ちょっと! この子が頼んだ、えーとなんだっけ? つぶつぶみかん? タピオカ? まあなんだ、その、そういうやつだ! まだ来ないの!? 待ってるんだよ!?」

そんなにも早急に乾杯したいのであれば、客はやはり「とりあえずビール」で妥協すべきなのです。

(もしくはスタッフさんにご提案ですが、おつまみのクイックメニューよろしく、ドリンクメニューにも「すぐ出ます」「乾杯専用機」とでも冠したラインナップを別途印字しておくのはいかがでしょうか!)

ドリンクが揃って「乾杯!」の発声があってからも安心はできません。

遠方の席であれば杯を持ち上げて目を合わせることで「リモート乾杯」できるのですが、アンチリモート派もまれに存在します。ジョッキとジョッキで音を奏でてこそ意味があるのだと言わんばかりに、席を巡回してくれるのです。

彼がディナーショウを駆け巡る郷ひろみならいざしらず、多くの場合はただの気のいいおじさん、おばさん、兄ちゃん、姉ちゃんです。気持ちはうれしいけれど、めんどうくさく感じてしまう日もあります。そんな自分の器の小ささに罪悪感を覚えることもあります。ああ、ひとつの乾杯が自責の念にまでつながるとは!

あとめんどうくさいのが「遅刻乾杯」です。仕事仲間との飲み会ともなると、集合時間に遅れる人は必ずいるもの。それはよいのです。しかし遅刻者が到着するなり、その人がひと息つく間もなくドリンクを手配し、グループ全員の歓談&飲食を止めてまで再度の乾杯で出迎える風習はなんなのでしょうか! 誰かハッピーになっているのでしょうか! 

遅刻者続出ともなると、

「あー、みんなちょっとすまん! 山田くんが来たので、もう何度目かわからないけど、とにかくカンパーイ!」

などと、歓迎の気配がまったく見えない謎の乾杯が連発されてうんざりです。迎える側も遅刻する側も体験済ですが、わずらわしいったらない!

ええい、ここまで書いたから乾杯とは関係ないけれど、ついでに言わせてくださいな! 人数多めの宴席で遅刻者のために料理をちょっとずつ取り分けておく風習についてです! あれも、もう、やめよう!!! 甲斐甲斐しく取り分ける若い女性に「お、気が利くねェ」などと声をかけるのも、もう、やめよう!!!

わざわざ盛り分けておく手間がかかっている割に、遅刻者は手をつけてくれません(経験則)。とはいえ、小さな取り皿からサニーレタスがはみ出した盛り付けはお世辞にもおいしそうには見えず、食欲がわかない気持ちもわからんではありません。各テーブルに配給された「取り皿」という名の限りある資源を使っているのですから、そういう事態にも陥ります。これまた、誰もハッピーではない!

あとから来てお腹が空いているなら追加注文をすればいいじゃありませんか。そのくらい気持ちよくワリカンして差し上げればいいじゃありませんか。取り分けた挙げ句、残されてしまう料理たちの気持ちにもなってみてほしい! ……と、「ついでの話」で一気にまくし立ててしまいました。話をもとに戻しましょう。

もしかしたらコロナがくれた数少ない恩恵のひとつは、上記の通りの「乾杯のめんどうくささ」をなくしてくれたことかもしれない、とすら思うのです。

インターネット上のリモート飲み会で酒盃を交わすときは、ただひとことシンプルに「乾杯!」と言い合うだけで済みます。そこに注がれているドリンクがビールである必要はなく、カシスオレンジだろうと、つぶつぶみかんいっぱい……えーとなんでしたっけ、そんなのを片手にグラスを上げても、乾杯タイミングに間に合っていればなにも問題ないのです。なんと合理的!

……でも、ここまで書いておいて恥ずかしながら、リモート飲み会にいまだに慣れません。タイムラグなしで同じ時間をみんなと共有できるにもかかわらず、距離的な「遠さ」をもどかしく感じてしまうのです。たんに私が旧人類なだけか……。

我が家は司令官の方針によりまだ「コロナ厳戒態勢」にあり、外食も基本的にはNGです。そんな生活が5か月は経とうとしているなんて! もともと外食が好きなだけに、こんな日々に耐えている自分に驚きます。

そんななか、久々に知人と打ち合わせも兼ねてカフェで待ち合わせることになりました。梅雨明けからつづく酷暑の真っ最中ということもあって、

「ここ、ビールもあるから1杯やっちゃおうか」

当然そこにNOの選択肢なんて存在しません(司令官には内緒)。

「当店はカフェーですので!」と言わんばかりの、細長く涼やかなグラスに注がれたビールが眼前に現れました。付き合いで飲まされる「とりあえずビール」とは一線も二線も画す「ごちそうビール」です。

どちらからともなく「乾杯」の声があがり、チン、と軽くグラスが重なりました。その後のひとくち目の、なんとおいしかったことか! うだるような暑さのなかで飲んだからというのも、もちろんあるでしょう。でももっと、「のどごし」なんていう刹那的なものではなくて、じわっと広がる「幸せなおいしさ」を感じたのです。

目の前に人がいる。同じ空気を震わせながら会話ができる。いっしょにおいしいと言いあえる。あまりにもあたりまえにできていたことが、いまはこんなにも貴重なのだなあ。画面を介さずダイレクトに乾杯ができるのは、互いにひとつの時間と場を共有できることの証です。

乾杯はめんどうくさい儀式だと思います。でもそれって、幸せだからこそのぜいたくな悩みだったのかもしれません。

こんなことを書くのはなんだか悔しいけれど、いまは乾杯が、少し恋しい。ああめんどうくさいと心のなかで悪態をつきながら、乾杯の幸せを噛み締められる日が早く来ますように。

最後にごあいさつ

改めまして、やままあきです。

インディーズエッセイストを自称して、このnoteやブログ、ポッドキャスト、電子書籍等、いろいろな形でエッセイを発信しています。

よかったら下記情報もチェックいただけたら幸いです。今後ともよろしくお願い致します。

・ポッドキャスト:「喋りたいことやまやまです」 
・ブログ:「言いたいことやまやまです」
・電子書籍:『凡人の星になる』
・電子書籍:『喫茶アメリカンについて言いたいことやまやまです』

※9月3日に新刊電子書籍『妖怪べきねば ~「ちゃんとしなきゃ」が追ってくる~』を発売予定です

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